人生・仕事

幸せになりたいとき、どうすればいい?「不幸の種」と和解するのがよいのでは

こんな記事

このブログでは音楽をメインに扱っていますが、その背後にあるコンセプトは、「Just Do What You Love(好きなことやろうぜ)」。

そして、好きなことをやろうと薦めるのは、それが幸せに繋がると確信しているから。つまり、「Just Do What You Love」を標榜するこのブログは、「幸せ追及ブログ」でもあるのです。

この記事では、私なりの「幸せ」への考え方を、提示してみたいと思います。貴方は、私の考え方に賛成ですか、反対ですか?

結論

人間として生まれた私たちには幸せになる権利がありますが、願わくば、周囲の方々にも幸せを振りまく存在でもありたいものです。

幸せになりたいと願うならば、「不幸の種」への被害妄想を止め、湧き上がってくる「幸せ」を全身で感じとれば良いのです。

自分が幸せであれば、貴方が纏うオーラは確実にポジティブなものになり、周りの人を巻き込んで、多くの人を幸せにしていけるでしょう!

「幸せ」へのステップ

私は、私たちの心情というものは、主に2つの要素から影響を受けて構成されるものだと考えています。その2つとは、すなわち、「幸福」「不幸」です。

「不幸」は「幸福」に対して非常に攻撃的、支配的であり、「不幸」が顔を出しているときは、「幸せ」は息をひそめて地下へと潜ってしまいます。

ですから、望ましい心理状態を実現するためには、まずは不幸を制御して心を解き放ち、自然に生まれてくる幸せを享受するのが最良だと考えています。

以降で、極端な私見という部分もありますが、望ましい心理状態を実現するために必要な行動と考え方を、3ステップに分けて解説します。

幸せの3つのステップ

1. 「不幸の種」を見極める

私は、不幸とは、私たちを惨めにする可能性がある事象そのものが持つ性質ではなく、それを受け止める心の中に生じる幻想のような物だと考えています。

まずは、心の泉の底に溜まった泥をどけましょう。この泥を取り除く作業こそが、不幸の種と向き合うということで、幸せの自然な貯留につながっていきます。

不幸の種は不幸ではない

収入減、疾病、離別、拒絶、劣等。これら不幸の種は、私たちを惨めにしようと襲い掛かってくるように思われます。ただし、不幸の種は不幸そのものではありません。

不幸の種が襲い掛かってくるというのは私たちの思い込みであり、種を見つけてしまったからと言って、直ちに不幸になるという訳ではないのです。

ここでの不幸の種は、余りに理不尽で重大な出来事は除外し、日常生活でのありふれた出来事を指しているものと解釈してください。

2. 「不幸の種」と和解する

私たちの態度次第で、不幸の種が実際に不幸となって私たちの心を支配するのを防止できます。そのために、私が重宝している考え方をご紹介しましょう。

【ラッセル幸福論 岩波文庫 p84より抜粋】

なぜなら、最悪の場合でも、人間に起こることは、何一つ宇宙的な重要性を持つ物はないからである

これは、世界三大幸福論の一つ「ラッセル幸福論」の中の一節で、「災難を予測して怯えるのは無駄だ」という、同氏の主張が述べられたものです。

この言を取って、「宇宙的な重要性が無いならば些細なことだ」という考え方をするか、「宇宙なんぞは関係ない」と考えるかは、人それぞれではあります。

ただし、悲劇の主人公になろうという姿勢は、不幸にとっての竹馬の友です。この意味で、不幸の種との向き合い方としてどちらが望ましいかは明らかでしょう。

不幸の種を自分の主観から切り離し、小さなものとして捉えることができれば、その種が実際の不幸に変わっていくのを防止できます。

宇宙と自分のイメージ

3. 「幸せ」を受け入れる

ところで、「幸せ」とは、一体なんでしょうか?冒頭で示唆したように、私は「幸せ」というものは、心の奥から自然に溢れ出る湧き水のような物と考えています。

「幸せ」は作り出されるものではなく、心の中に湧き上がってくるものなのです。この意味で、「幸せ」を感じるためには、自分自身という存在に還ることが事が重要です。

そして、「不幸の種」と和解して心を解き放てば、もう心の泉を遮る物は何もありません。愛情、情熱、そして好奇心が心に湧き上がってくるのを感じるでしょう。

湧き上がった感情に対して、全力で向き合う。別記事でいうところの「原始的努力」を重ねることが、幸せの泉の水をより澄んだ美しいものにしてくれます。

私のボイトレへの15年にも及ぶ献身は、声の追求という好奇心に支えられた私の幸せの形の一つです。心の奥で見つけた幸せの泉が枯渇したことは、一度もありません

さいごに

人生では、望ましくないことを避け続けることは不可能です。華麗なる回避も数回なら可能かもしれませんが、いつかは不幸の銃口に捉えらえる日が来ます。

レジリアンス(回復力)という言葉ですら、不幸と和解するという観点からは不適当です。なぜなら、この文脈で使われた場合の回復という言葉は、不幸の種がもたらす負のインパクトを前提とするものだからです。

私たちに真に必要なのは、回復ではなく、和解。私たちの心持ち如何によっては、不幸の種を養分へと変えられる可能性すらあるといえます。

「幸せであること」と、「幸せにすること」は、人生の第一義。「幸せの循環」の中で、それぞれの魅力と能力を持って助けあう。こんなに素晴らしいことが他にあるでしょうか?

エンゼルス大好き
すけまろ
myself
スピッツが大好きで10年来のファン。このブログは、そんな私によるスピッツのファンブログです。カラオケ大好き、スピッツの楽曲フルレビューにも挑戦中。歌手オーディションに3回合格。漫画、アニメ、読書も好き。スポーツ観戦がライフワーク。最近はエンゼルスに夢中で、ツイッターでは応援ツイートを垂れ流しています(笑)。貴方も、「LTBU」しませんか?
\ Follow me /
error: Content is protected !!