「君たちはどう生きるか」とは
本論に入る前に、「君たちはどう生きるか」の概要をご紹介します。なお、2017年に出された漫画版ではなく、岩波文庫から出ている書籍版を扱うものとします。
吉野源三郎氏と本書
吉野源三郎氏(1899~1981)は、昭和を代表する哲学者・知識人の一人で、書籍編集者などとして様々な活動に携わる傍ら、本書「君たちはどう生きるか」を執筆しました。本書の内容は、哲学的側面を含み、私たちに生き方を考えさせてくれます。
哲学論は、ともすれば難解になりがちですが、本書にそれは当てはまりません。本書では、難しそうなテーマであっても、身近な事象を出発点として解説されるために内容が分かりやすく、変に考え込まずに読み進めていくことが出来ます。
本書が私を大いに驚かせた点の一つは、この本が戦前に発行された書籍であるということです。舞台が完全な現代ではないことは、情景描写から想像することが出来ます。しかし、その出版が実際に戦前であったということは、とても想像しがたいものでした。
本書は、現代的自由と愛の精神に溢れていますから、思想弾圧がされていた時期のものだとは想像できなかったのです。この書籍は、多くの覚悟を持って、未来の若者のために出版されたものである、と言えるでしょう。
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【スポンサーリンク】 | 様々な人生への視座を、コペル君という少年とその叔父さんの交流を通じて描く書籍であり、作者である吉野源三郎氏の言葉を借りれば、「子どものための倫理の本」。 本書の多くは物語調で書かれ、その部分は道徳の説教論としてではなく、読み物として読みやすいため、子どもにも読みやすい本である言えるでしょう。 ただし、この本を必要とするのは、何も子供だけではありません。大人だからと言って精神的に成熟しているとは限らないですし、大人は子供より多くの精神的試練に直面する可能性が高いからでもあります。 悩みごとに溢れた社会の中で生きる我々が、生き方を真剣に考えるならば、「君たちはどう生きるか」を読むことは、必ずや益するところがあると言えるでしょう。 |
本書の魅力
本書は基本的に、「コペル君」が主人公として動き回る物語パートと、その出来事に対応するおじさんの意見を示すノートブックパートが繰り返されながら進行します。後者には、多少難しい内容も含まれますが、その説明は丁寧です。
大切な前提
本書は、総じていえば「生き方を考えるための本」です。この書は、元々の発刊目的や近年の漫画化などから、どちらかというと子供向けの本と思われている気もしますが、その考え方は必ずしも正確ではないと感じています。
この本は、子供でも理解できるように分かりやすく、そして読みやすく書かれた人生哲学書であるという方が、本書の姿をより正確に捉えていると言えるでしょう。もちろん、この書籍から大人が学ぶことも、大いにあるわけです。
この書は人間倫理だけを説いたものではなく、学問の重要性なども説かれています。広い意味では、人としての器を広げるための姿勢、考え方について述べられた書籍であると言えるでしょう。
ノートブックの意義
各章の最後に登場する、「おじさんからのノートブック」には、筆者自身が示したかった考え方が書かれていると考えるべきでしょう。ある意味では、ここを答え合わせパートとして考えることが出来ると思えるかもしれません。
つまり、コペル君の日常で起こった出来事を、おじさんならどう考えるかなという視点でページをめくるということです。この方法での読書は、なかなかに楽しいものです。しかし私は、この本の読書をこの方法だけで終えるべきではないと考えます。
何故なら、おじさんの考え方を絶対の正解、答えとしてなぞるだけでは、筆者が私たちに望む生き方を体現することは出来ないからです。本書で繰り返されるのは、自分で考えることの重要性だと言うことを忘れるべきではないでしょう。
私たちが、答えパートで示される考え方に異論を唱えることは愚かなことでしょうか。いいえ、勿論そんなことはありません。おじさんは笑顔でそれを聴いてくれるはずです。おじさん、即ち筆者が大事にするのは、自分で考えることなのですから。
第四章「貧しき友」の最後のノートブックで、コペル君へと投げかけられる質問は、そのまま私たちに投げかけられているものでしょう。もちろん、その答えが作中で示されることはありません。
他の哲学書との差異
本書と他の哲学書の一番の違いは、吉野氏の愛情に満ちた考え方が本書全体に溢れ、殆どこの書自体に親愛の情が湧く点です。私にとってラッセル幸福論が人生の師であるのなら、この書は、それこそ親愛なる「おじさん」と言ったところですね。
自分で考えることを促し、その考え方を時には厳しく、しかし豊かな感情と共感を持って論じてくれる信頼できるおじさん。そんな「君たちはどう生きるか」の読書を通じ、貴方なりの生き方への道筋が見えてくることでしょう。
私は、人間の価値についての持論が、おじさんとある程度一致したことによる自分の考えへの自信を得たことと、その持論が信念と呼べるかどうかは今後の自分の心持と行動次第であるということを学びました。
私たちは、何を得るか
ところで、私がこの本を読んでみようと思った、そもそものきっかけは、私のサラリーマン人生の終焉です。2021年、私は約10年間続けたサラリーマン生活に終止符を打ち、新しい旅路へと歩き出したのです。
これまではルーティンワークをこなす代わりに安定を得ていましたが、これからは自己責任の下で、自由意思に基づいて自分自身の道を歩むのです。そんな私の人生を、充実感溢れるものにしていくために、この書を読むことは良いことだと感じたのです。
本論は300ページ程度と短めですが、その薫陶は、非常に貴重なものでした。これからの生き方の指針として私が得たものを列挙するなら、以下のようなものです。
- 集団の中の個人という意識
- 自分の考えを持つことの重要性
- 間違いを許し、学ぶことの重要性
- 謙虚で清廉な精神の重要性
どうして、集団の中の個人という視点が必要なのか。どうして、自分の考えを持つことが重要なのか。過ちを犯した人を許すとは、どういうことか。どういった精神性が、人間として本来あるべき姿なのか。こういった事の答えではなく、自分で考えるためのパズルのかけらが、本書には溢れています。
ネタバレになるので具体的なエピソードを明かすことは避けますが、コペル君の苦悩は、涙なくしては見れないほどです。コペル君の苦悩が頂点に達するシーンは、流し読みしたくなるほど、いたたまれない気持ちになります。
最も強く共感する部分は、第二章「ニュートンの林檎と粉ミルク」を締めくくる、おじさんからのノートブックでした。この考え方は、吉野氏が持っていた限りない愛情そのものだと感じました。
さいごに
この書籍が、素晴らしい人生の友であることは散々に述べたので、閑話休題的な話題でこのエントリーを閉じようと思います。最後に扱うのは、とある登場人物をめぐる私の思考と、おじさんの思考の差。
本書中盤において、とある登場人物が、有名な英雄に関する持論を饒舌に述べ、その内容に感化されたコペル君がその内容をおじさんに伝える場面があります。その演説に対しての、おじさんの反応は、私にとっては予想外でした。
このおじさんの反応は、ノートブックの第二章で語られた「人間の値打」という部分についての信念と行動が一致しているからであったからだと思います。私がもし、おじさんの立場にいたら、おじさんと同じ行動がとれたか自信がありません。
考えることは重要ですが、それ以上に、信念に従って行動することが重要である。英雄に関する持論のエピソード自体は傍論ですが、信念を貫く覚悟については、本書を貫く骨太の背骨であると言えるでしょう。
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【スポンサーリンク】 | コペル君という好奇心旺盛な少年の成長は、確かに、おじさんに導かれている側面もありますが、最終的にはコペル君自身の決断と選択によるものです。 特に、物語中盤から終盤にかけて起こる出来事を通じてのコペル君の成長は、見事としか言えません。これほどの対応を出来る大人が、果たしてどれだけいるでしょうか。 もちろん、この私とて、コペル君と同じ行動をとりたいと感じます。しかし、それが実際にできるかどうかは、普段の心持次第なのでしょう。結局、口では何とでも言えるのです。 自分の情熱を燃やして生きると口にした以上、日々を大切に過ごしながら、つまらぬ見栄を捨て、自分の考えを持って決断、行動し、コペル君のように成長していきたいです。 そしていつか、私の書棚の中から、おじさんに微笑んでほしい。「すけまろ君。なかなか、成長したね」。そう言ってもらえるように、これからも努力したいと感じました。 |