スピッツの曲

スピッツの「讃歌」の感想。自分なりに歌詞の意味も考察・解釈してみます!

こんな記事

「素晴らしい音楽なくして、素晴らしい人生なし」。この記事は、そんな私の人生を彩ってくれる楽曲たちを紹介していくコーナーです。

今回の「讃歌は、スピッツの17thアルバム「ひみつスタジオ」の収録曲。タイトル通りの聖なる光を感じる、心が洗われる楽曲ですね。

以降では、そんな「讃歌の魅力を語りつつ、歌詞の意味も考察。「大いなる流れ」を軸に、生と向き合う青年の物語を考えました。

「讃歌」とは

「讃歌」は、スピッツの17thアルバム「ひみつスタジオ」の収録曲。シンプルな曲ですが、アルバム・クライマックスへの感動の大きなうねりを作っています。アルバムコンセプト次第では、トリを務めてもおかしくない楽曲と言えそうです!

曲名曲調一般知名度お気に入り度
1讃歌黒き世界に
差し込む光
water

1. 演奏への印象

「讃歌」の演奏に感じるのは、荘厳な光。美しい歌詞と草野さんの美しくも力強いボーカルがその中心にあると言えるでしょう。また、サビでのコーラスも含めて、教会を思い浮かべました。それこそまさに、聖なる「讃歌」のイメージを。

楽曲のイメージとしては、「Y」が近いでしょうか。「讃歌」も「Y」も曲の方向性としては希望の光を感じますが、「讃歌」は誠実さに、「Y」は素朴な明るさに寄った感じかもしれません。「讃歌」を聴くと、身が引き締まる気分になりますね。

草野さんのボーカルに話を戻すと、サビでの高音が凄く力強いです!サビで急に音が上がりますが、そこでの声は強く、そして光り輝いています。連続した高音が強くも美しいさまには、「僕のギター」や「花と虫」が連想されました。

church

2. 個人的な想い

説教臭ささは一切ないのですが、「讃歌」を聴いていると「誠実に生きよう」と思わされます。スピッツにリスナーを教化・啓蒙しようとか、そんな意識がないのは分かり切っていますが、「どう生きるべきか」という自問が頭をよぎる一曲でした。

このアルバムの中で言えば、心に届く感覚的には「紫の夜を越えて」に似た部分があるかもしれません。ただ、「紫の夜を越えて」はロックサウンドが強めなので、耳に届くサウンドは結構違いますかね。「讃歌」は、より美しさ寄りでしょうか。

また、この「讃歌」は一刻も早くカラオケで歌ってみたい一曲です。自分でも、サビの高音の美しい感じをどの程度再現できるか試してみたい。テンポは速くないので、ミックスボイス発声に注力できそうですし、自分に期待しています(笑)

pray

歌詞の世界を考える

ここからは、「讃歌」の歌詞を追いながら、その歌詞の意味する世界を考えていきます。今回の考察テーマは、「大いなる流れの中で」としました。また、そのテーマを補足するため、以下の4つのトピックを準備しました!

解釈は私の直感に過ぎず、全くもって他人に押し付けるものではありません。また、作詞意図に沿った「正解の解釈」より、私の感想が優先されます。なお以下で、私の解釈のスタンスまとめています

stars

1. 考察の前提

登場するのは主人公と君で、ここではそれぞれ男女とします。また、メロの内容が過去で、サビの内容が現在を示していると捉えます。1番メロの歌詞を見るに、彼は厳しい精神状態にあったことが窺えます。彼は未来への希望を失っていたのでしょう。

しかし、そんな彼は君と出会って変わりました。1番メロでは背中を合わせて座るような、寄り添った励ましを受けた彼の様子が浮かびます。そして、2番メロでは相変わらず傷ついたりしながらも、前に進もうとする彼の姿が浮かんできました。

サビでの自然環境描写からは、彼を囲む世界が厳しい場所なのだと分かります。また、サビでの風は「人力を越えた大いなる流れ」とします。ただ彼はその風を呪うのではなく、風吹く環境で生を繋ぐ虫の様に、君と共に精一杯生きると決意しています。

歌詞には「大いなる流れ」と「ちっぽけな命」の対比を感じます。ただ、ここでの「ちっぽけ」とは命を矮小化するものではなく、むしろ逆。サビでは大いなる流れの中で精一杯に生を紡ぐ生き物たちの、儚くも健気で美しい姿が描かれています。そして人間もまた、同じ生き物なのです。
hope

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2. 命の水

心を削られ、生きる希望を失っていた日々。そんな日々は、既に過去にものとなりました。それは紛れもなく、彼を支えてくれた君のおかげ。もし、君がいなかったなら。彼がこの厳しい世界の中に、再び希望を見出すことは絶対に不可能でした。

あの日、君がかけてくれた言葉は、彼にとっては命の水のようなものでした。全てに絶望し、投げやりに過ごした日々。抗いようのない大いなる流れに弄ばれ、荒れ果てた心。しかし君の言葉は、枯れかけた彼の心に潤いをくれました。

君が話してくれたのは、くだらない昔話。君は、惨めに生を放棄していた彼を叱咤するのではなく、ただ優しく語り掛けてくれました。その昔話は彼に、何の生産性もない、しかし心のままに世界を渡っていた幼き自分を思い出させてくれました。

思えば、昔の彼はこの世界を自由に渡っていました。それは幼き自分が愚かで、この世界の理を何も知らなかったからだったのでしょうか。しかし、大人になったからと言って、この世界の全てが分かるのでしょうか。彼は今も昔も小さき存在で、それは正しいことなのではないでしょうか。
water with flower

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3. 過去を払って

かつて世界は、彼を苦しめてきました。懸命に世界に向き合おうとした彼を、搾取の対象としようとする輩もいました。また、悪意のない、しかし心に刺さる直言に怯んでしまうこともありました。そんな時、彼は自分の限界を思い知ったものでした。

そんな日々が積み重なった結果、やがて彼は劣等者としての自分を自ら作り上げ、生きる希望を失ってしまったのでした。自分は弱き存在で、何をやっても上手くはいかない。そう信じ込んでしまった彼は、その瞳から輝きを失っていったのです。

しかし今、彼の瞳には再び輝きが戻っていました。彼は何も、自分の弱さや限界を克服したわけではありません。彼は、自分の弱さや限界を嫌う代わりに受け入れたのです。それはもちろん、君が話してくれた懐かしい昔話がくれた変化でした。

彼はすでに濁った日々から抜け出し、小さき存在のままで大いなる流れの中に身を置くようになっていました。世界は相変わらずの場所で、彼に氷や棘を投げつけます。しかし、彼はもう大丈夫。彼は君という光とともにある限り、全てをやり過ごすことができると確信していました。
childhood

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4. 讃歌

もう、迷いはありません。彼は君と共に、この厳しい世界を歩いていきます。この世界の厳しさを思えば、これからも傷つき、ときには倒れることもあるかもしれません。しかし彼は、最後の最後では決して折れず、再び立ち上がることができるでしょう。

そう、大いなる流れに翻弄されながら、しかし懸命にその命を煌めかせる生き物たちの様に。彼の心に宿った、君がくれた聖なる光は、彼を何度でも立ち上がらせるでしょう。どんな雷雨が彼を襲おうとも、その光を消し去ることは絶対にできません。

漆黒の闇の中の光。理想郷に仕込まれた毒。どんな場所でも裏表があるのかもしれませんが、君と一緒なら大丈夫。溢れ出す純なる想いは、言葉にはならず讃歌を作りました。君がくれる喜び。それは今の彼にとって一瞬で、しかし永久なる輝きでした。

私にとっての「讃歌」は、濁った眼で世界を眺め、無気力になっていた主人公が、君と言う光に出会って立ち上がる物語。小田和正さんの「言葉にならない」ではないですが、彼が抱く想いはあまりにも純朴で「ラララ」以外では形容できない、しかし信頼と純心からなるものだと感じました。
hope

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さいごに

「讃歌」は曲構成自体はシンプルですが、歌われている内容や歌唱表現から言って何だか「大きな解釈」をしたくなりました。皆さんにとっての「讃歌」とは違うでしょうが、私にとってはこの曲自体が生きる道標、聖なる光になってくれそうです。

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