「素晴らしい音楽なくして、素晴らしい人生なし」。この記事は、そんな私の人生を彩ってくれる楽曲たちを紹介していくコーナーです。
今回ご紹介する「トンガリ’95」は、スピッツというバンドを体現するロックソングで、ライブでの定番曲でもあります。カッコいい演奏と、スピッツ流の反骨魂を叫びあげる歌詞が魅力的ですね。
この「トンガリ’95」を語ることは、スピッツというバンドの本質を語ることでもあるでしょう。スピッツというバンドのテーマソングたる「トンガリ’95」の魅力を、歌詞への解釈を含めて語っていきます!
「トンガリ’95」とは
「トンガリ’95」は、草野さん自身が「バンドのテーマ」と称するように、スピッツというバンドを体現する曲です。歌詞の抽象度はともかくとして、彼らの衝動をストレートに感じる雰囲気は、パンク的な要素を汲んでいます。個人的評価は、星4.5です!
この「トンガリ’95」という曲は、魂の衝動を叫ぶ曲でありながら、どこか微笑ましい部分もあるように感じます。カッコよくノレる曲ですが、温かい目で吠える子犬を眺めるような、そんな気持ちにもなりますね。
曲名 | コメント | お気に入り度 | |
1 | トンガリ’95 | スピッツロック |
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「トンガリ’95」の印象
この「トンガリ’95」は、ほんのりポップな要素も感じるスピッツ流のロックソング。CD版とライブ版で大きく印象を変える曲でもあります。まずは、私が感じる本曲の魅力を、以下の3点から分析します。
1. 演奏について
この曲は、ロック少年たちの溢れんばかりの衝動が詰め込まれた、挑戦や活動への意欲を生み出してくれるようなロックソングだと感じます。そんな曲の演奏で、最初に耳に飛び込んでくるのは、「ギュウィーン」と鳴る、歪んだエレキギターです。
そんな歪んだエレキギターがかき鳴らす、イントロのギターリフが耳に残りますし、カッコいいですね。サビの背後でも、このギターリフが鳴り続けています。また、このリフと重なるように鳴らされるテロテロしたクリアギターも印象的ですね。
「テロテロ」としか表現できない自分が悲しいですが、私が何を指しているのかは曲を聞けばきっと分かります。ライブ映像を見る限り、このテロテロパートは、草野さんが弾いているようです。三輪さんと草野さんのギターの共演が楽しめる部分です。
また、ベース理論は全く知らないのですが、ベースがギターリフと同じメロディーをなぞっているのが印象的です。ベースがリフをなぞるのは珍しい気がしますが、このベースもあってギターリフが生み出すパワーが増しているように感じます。
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2. ボーカルについて
この曲にちょっとポップな要素を感じるのは、草野さんのボーカルが大きいでしょう。この曲は、スピッツが1995年に発売した「ハチミツ」に収録されている曲ですが、この時草野さんは28歳。草野さんが、ちょっとアイドル化されていたころです。
当時のライブなどでも、草野さんに向けられる歓声は、ほとんど黄色い声。このころの草野さんの声の一番の印象は、美しく輝くポップな声という印象を持ちます。そんなボーカルが、この「トンガリ’95」にも収録されているのです。
また、サビで連呼されるフレーズのボーカルは、特に明るく輝いています。このボーカルを聴いて、これがゴリゴリのロックサウンドだ、とは私には思えません。ただし、ロックボーカルではないということは、私にとってはマイナスの要素ではありません。
演奏のロック加減と、このボーカルのポップさのちょっとしたアンマッチが、この曲を際立たせているように感じるからです。スピッツは、ロックとポップを両立するバンドです。そんなスピッツの旗印として、「トンガリ’95」は最適だと感じます。
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3. 歌詞について
この曲は、スピッツのテーマソング。この曲は、スピッツの優等生的なイメージに対して、反論の狼煙を上げるような曲だと感じています。俺たちは、微笑みのバンドじゃなくロックバンドだぜ、というメッセージが伝わってきます。
スピッツには珍しく、曲中に登場する一人称が「俺」になっていることもあり、歌詞からは若者の勢いを具現化したような感じを受けます。考えるより、まず行動。衝動のままに動き続ける。そんな若者像が浮かび上がってきます。
曲のテーマとしては、「自分たちの生き方を貫く」という姿勢が、パンク的なシンプルな歌詞によって表現されていると感じます。手作りの旗印を掲げ、大通りを風を切って闊歩する、ちょっと粋がった若者集団が頭に浮かびます。
後年の「とげまる」というアルバムが指し示すように、スピッツにとっては「とげ」は、彼らのロック魂を示す大切なアイデンティティの一つですが、この曲の「トンガリ」も同様のアイデンティティを示していると言えるでしょう。
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歌詞の世界を推理する
この曲の性的な解釈は既に多く存在しますので、ここではあえてその解釈を離れ、別の切り口で考えてみます。この曲は、草野さん曰く「スピッツのテーマ」とのことですから、スピッツとリンクさせて考えてみることにします。
1. 登場する主体
この曲に登場するのは、主人公と君の二人。ただし、今回は「君」を友人や恋人ではなく、主人公に大きな衝撃を与えた存在だと考えました。具体的に言うと、数々の名曲を世に送り出した伝説的バンドである「ブルーハーツ」です。
「ロック大陸漫遊記」によると、アマチュア時代の草野さんは、バイト先の友人からブルーハーツのカセットを借り、その音楽に衝撃を受けたとのこと。私は、1番の歌詞はこの時の衝撃と、ブルーハーツへの賞賛を歌にしているのではないかと考えました。
プラスチックのカバーを外して、ラジカセにカセットを入れる。再生ボタンを押すと、暗闇の中で鮮やかに光る猫の青目のように、強い個性のある音楽が流れ始める。そして、その音楽に胸を貫かれる想いだったのではないでしょうか。
草野さんが聴いたのは、ダビングが重ねられたライブ音源だったそうですが、それでも強い衝撃を受けたそうです。そして草野さんはその音楽に敬意を表し、スピッツにとって最大の誉め言葉の一つである「尖っている」を用いたのかもしれません。
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2. 自分たちの世界へ
2番の内容は、草野さん自身の心境を描いたものではないかと考えました。バンド活動を辞めた草野さんですが、再び音楽をやりたいという想いが募り、再度音楽の扉を叩きます。ただ、その背後にはブルーハーツへの意識があったのかもしれません。
実際、草野さんはラジオ番組で「ブルーハーツを真似していた」と発言しています。ただ、ライブハウスの方からは「その方法では未来はない」とも言われていたとか。スピッツ自身のオリジナリティを作る必要に迫られたのです。
そんなスピッツが様々な方法を模索している状況が、2番のメロにおいて「ゴチャゴチャした世界」として表しているのではないでしょうか。壊れかけというのは、ブルーハーツに衝撃を受け、揺らいでいた自信を形容しているのかもしれません。
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3. 君も、俺も尖っている
草野さん曰く「ブルーハーツのフォロワー」としてスタートしたスピッツですが、やがてその足跡を追うのをやめ、独自の路線を歩み始めます。その結果、スピッツは日本でも有数のロックバンドへと成長を遂げたのでしょう。
もちろん、ブルーハーツはブルーハーツでその歩みを進め、多くの人を熱狂させる伝説的なバンドとなりました。その解散から、既に長い年月が経っていますが、今でも多くのファンを維持し、新規にも獲得しています。
これは、それぞれのバンドが独自性でリスナーを惹きつけたから出来たことです。つまり、それぞれのバンドは、尖っていたのです。この曲は、そんな「尖る」ということへの憧れや賞賛が込められた、スピッツロックなのではないでしょうか。
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さいごに
「トンガリ’95」の考察を、スピッツというバンドに当てはめて行ってみました。ただ、これはあくまで推理に過ぎないので、この解釈が事実だという確証などありません。それに比べて、こちらの解釈の方は、ある程度の共感を得られる気がします。