「素晴らしい音楽なくして、素晴らしい人生なし」。この記事は、そんな私の人生を彩ってくれる楽曲たちを紹介していくコーナーです。
今回の「353号線のうた」は、インディーズ時代のスピッツの楽曲です。また、1999年に発売した「花鳥風月」に数曲追加して2021年に発売された「花鳥風月+」に、追加曲として収録されています。
以降では、「353号線のうた」の魅力を語りつつ、歌詞も考察します。ありのままの心で生きようとする青年の物語を考えました!
「353号線のうた」とは
「353号線のうた」は、スピッツがインディーズ時代に制作したCD「ヒバリのこころ」に収録されている楽曲で、今のスピッツとはやや雰囲気が違う、デビュー前のスピッツが目指していた路線が窺える一曲です。差し詰め、さらけ出しロックですかね。
曲名 | 曲調 | 一般知名度 | お気に入り度 | |
1 | 353号線のうた | お気楽・飾らず |
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1. 演奏への印象
「353号線のうた」には、お気楽なウキウキ感を感じています。演奏にはメリハリがあって静か目になる部分もありますが、その後の賑やかなコーラスなど、やはり明るいイメージが強いです。演奏するメンバーも、きっと楽しかっただろうなと感じますね。
メロディーはキャッチーで耳に残りやすいのですが、同時にシンプルだなという感覚もあります。ギターのコード進行を見ても、とてもシンプルな作りになっていますね。このあたりにも、誰もが参加したくなるメロディの基礎があるのかもしれません。
ところで、この「353号線のうた」と近年のスピッツの音楽を比べた時、個人的に一番の違いを感じるのは、やはりそのボーカル。声質そのものというより、歌い方です。母音をあえて広げた感じと言うか、声に表情を作ろうとしている印象を受けますね。
2. 個人的な想い
私は、曲の出だしの雰囲気に「にんげんっていいな」に重なるものを感じていて、その影響でこの曲には皆で楽しもうと周りを誘う雰囲気を感じています。小難しい議論やご高説はさておき、ただこのリズムで一緒に楽しもうよ、という感じですね。
正直、スピッツがずっとこの路線を貫いていたなら、私がここまでのスピッツファンになっていたかは分かりません。ただ少なくとも、様々なスピッツの顔を知ったうえで聴く、この「353号線のうた」はワクワクとウキウキを運ぶ良曲に聴こえますね。
また、この曲は「花鳥風月+」に収録されたこともあり、JOYSOUNDのカラオケで歌うことも出来ます。音域的にも比較的歌いやすいですし、歌っていて気持ちいいですね。楽し気なコーラスのところは、友人に参加してもらうのもいいですね!
歌詞の世界を考える
ここからは、「353号線のうた」の歌詞を追いながら、歌詞の意味する世界を考えていきます。今回の考察テーマは、「ありのままでGO!」としました。また、そのテーマを補足するために、以下の4つのトピックを準備してみました!
解釈は私の感想に過ぎず、全くもって他人に押し付けるものではありません。また、作詞意図に沿った「正解の解釈」より、私の感想が優先されます。なお以下で、私の解釈のスタンスをまとめています!
1. 考察の前提
歌詞には、「ありのままで行こう」という考え方を感じます。これは、華美を嫌うパンク魂であると同時に、今に繋がる確かなスピッツらしさでもあります。総じれば、この曲は現代社会に否定され得る主義主張を全力で肯定する曲だと感じています。
歌詞には例えば、美しく賢くあれという現代的な考え方に対し、そうでなくともイイというメッセージを感じます。彼が憧れる「裸」も、飾らない等身大の姿を意味するでしょう。サビの前進への決意にも、無様な在り方を許容する姿勢が覗えますね。
ところで、曲に登場する彼と君の二人は恋人同士で、人生の旅路を共にしているとします。そして彼は、君と二人でありのまま、心のままに歌い踊るような日々を望んでいます。以降では、賢さで着飾らず、ありのままの自分を望む青年の物語を考えます!
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2. 試練続き
二人の旅路は、やはりなかなか大変なもののよう。天まで届くような長い坂道をようやく上り切ったと思ったら、すぐにおどろおどろしい森が二人を待っていたのですから。この調子では、二人の目的地、自由の海に辿り着くのはまだまだ先に思えました。
渇きを感じて辺りを見渡してみても、広がるのは樹々の騒めきだけ。この場所では、渇きを癒すものは手に入りそうにもありませんし、光も届かぬ森が騒めく様は少し不気味にも思えます。どう見ても、これからも試練の道が続くのは一目瞭然でした。
昔の彼ならば、賢明な判断をしていれば明るい道を進むことも出来たと自分を呪ったかもしれませんが、今の彼は違います。君と一緒の彼は恐れも後悔もなく、ただ突き進むのみです。二人で力を合わせたならば、きっとこの森だって抜けられるはずです。
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3. 昔の心で
少し前のことですが、自分らしく生きると決めた二人は、世界がいう正しさをその身から振り落とすことを決めました。美しさとか賢さとか、正しさを作るモロモロ。二人は、そんな正解を捨て、ただ感情に素直に生きることを目指したのでした。
そして、そうして身軽になった二人は、それがとても心地よいものだと気づきました。世界の言葉を絶対の正解として、それに沿えないことを悩んだ過去も笑えてくるほど。二人には、正しくなることより自由になることが重要だったのでした。
世界の正しさと決別した今は、もう世界とのすり合わせで思い悩むことはありません。これからはただ、無様でも愚かでもあるがままに。二人の行く先は、世界が決めるのではありません。二人の行先は、二人の心が決めるのです。鮮やかで愚かな心が。
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4. 353号線のうた
予測も計算もなく、ただ心の向くままに生きる。二人には、そんな賢い掟が糾弾するような生き方が、二人にとっての正解だと分かっていました。正解として押し付けられた様々なものを全て捨て、幼き日の飾らぬ心で生きることが何より大切なのです。
もちろん、仮にも世界の声を聴き入れた過去がある以上、完全なる童心を手にするのは簡単ではありません。世界の正解に照らせば日に日に愚かになっていく二人ですから、二人にもそんな自分たちを晒け出すのに、少し抵抗があるのも事実でした。
ただそんな羞恥心も、結局は自由な心の声を抑えることは出来ないのです。それが愚かでも無様でも、蘇った童心の声こそが最終的には彼らの指針。だから二人は、これからも常識外れの道を往くでしょう。深い森を抜け、自由の海までぶらりぶらりと!
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さいごに
サビの擬音は、どう考えても走る際に使われる表現ではなく、坂を転げ落ちるときに使う方が適切でしょう。ただ、転がり落ちたとしても前に進んでいることには変わりはないのです。無様さへの誇りというスピッツのコアが、既に表れていますね!