「素晴らしい音楽なくして、素晴らしい人生なし」。この記事は、そんな私の人生を彩ってくれる楽曲たちを紹介していくコーナーです。
今回の「ウィリー」は、スピッツの8thアルバム「フェイクファー」の収録曲「ウィリー」には、スピッツのロック・パンク魂を感じます。
この記事では、そんな「ウィリー」の魅力を語り、歌詞解釈にも挑戦します。曲に登場する「猿」は、何を示唆しているのでしょうか?
「ウィリー」とは
「ウィリー」は、1998年にスピッツがリリースした8thアルバム「フェイクファー」の収録曲です。前曲の「謝々!」は、青空のような爽やかな気持ちを歌い上げる曲でしたが、「ウィリー」は、スピッツの根底にあるトンガリ成分を感じる楽曲です。
曲名 | 曲調 | 一般知名度 | お気に入り度 | |
1 | ウィリー | マイペース&ロック |
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1. 演奏への印象
「ウィリー」の演奏は、スピッツロックの精神を強く感じています。前曲の「謝々!」は、爽やか寄りの楽曲でしたが、この演奏は「俺たちにはこういう顔もあります」と言わんばかりで、ロックサウンドをアピールしてきたな、という印象です。
ただ、ロックと言っても勢いよくギターをかき鳴らしたり、ドラムを叩きまくったり、激しくシャウトしてみるわけではありません。むしろ、演奏はマイペース気味。ただ、そのまったり感の裏に、スピッツらしい「我が道を往く感」を感じるのです。
演奏としては、イントロから目立つベースが特に気になります。メロディーを形取りながら、曲の重厚感も演出していますね。また、3分ごろからのギターソロも興味深く聴いています。やや暗めのその音色には、ちょっとした捻くれ感を感じています。
2. 個人的な想い
私は「ウィリー」に、「強くはないが負けない」という印象を重ねています。例えば、風に吹き倒されて傷つきはすれど、それに完全に屈することはないという雰囲気です。そして、私がこう感じるのは、曲に見え隠れする誇りの旗の存在が大きいです。
先述したように、演奏も非常に力強いとか、強い疾走感があるわけではありません。しかし私は、むしろその部分に「無敵ではない若者像」を感じています。強い力で障害を粉砕することは出来ない彼は、弱さを受け入れながら前進するのです。
また、曲のゆったりした雰囲気には、のらりくらりな若者像も感じています。世間の風を真に受けすぎず、誇りの旗が指すままに我が道を行く。こんなスピッツでよく見る若者像を感じる点で、私は「ウィリー」にスピッツらしさを感じているのです。
歌詞の世界を考える
ここからは、「ウィリー」の歌詞を追いながら、歌詞の意味を考えていくことにします。そんな今回の考察のテーマは、「猿になって駆けろ」としました。また、そのテーマを補足するために、以下の3つのトピックを準備してみました!
曲解釈は私の想像であり、他人に押し付ける物ではありません。ただ、出来る限り想像の根拠が提示できるように、歌詞とリンクさせながら進めていきます。私の想像を楽しんでいただけると、嬉しく思います!
1. 考察の前提
「ウィリー」では、スピッツの歌詞によく出てくる、典型的な主人公像を感じています。彼は、少し寂しがり屋ですが、一方で迎合は好まない青年。小さくまとまることを是とせず、自由な心をもって彼なりのスタイルで進むことを好む青年です。
ところで、「ウィリー」とは、バイクなどで後輪だけで走ることを言います。この走り方には、彼の挑戦心とともに、自分らしさを全力で表現する姿を感じます。この曲での「ウィリー」とは、少し浮いた彼の生き方そのものを示すと言えるでしょう。
また、歌詞中の「猿」もスピッツの十八番。大抵の場合、「猿」は賢い人間との対比で出て来ますが、スピッツの歌詞中では、余計なものを持たない肯定的な存在です。そこで彼もまた、余計なものを背負わずに夢の旗だけを掲げて走る青年だとします。
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2. 猿になって
悩みぬいた果てに、彼は決意しました。自分を型に押し込める世界と決別することを、です。儀礼、処世術、常識。世界を我が物顔で闊歩するそれらが作り出すのは、人としての「あるべき姿」。それが、彼にはどうにも息苦しかったのです。
彼に言わせれば、人間は所詮、猿です。お高く留まって賢そうに見えても、何か大切なものを失っているように思えてなりません。そんな彼の胸には、まだ大切な夢があります。その夢が世界の波に攫われる前にと、彼は猿に戻る決意を固めたのです。
ただし、猿に戻ることは、大変な経験になるでしょう。彼の目線で見たならば、彼はあくまで猿の世界を猿として走るだけ。しかし、世界を支配する当の彼らは、自分たちが猿だと気づいてはいないのです。彼は世界で、悪目立ちしてしまうでしょう。
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3. ウィリー
彼は、賢いフリの自分には戻らない決意を固め、猿として彼なりの方法で走り始めます。彼のスタイルは、全てをあるがままで受け入れるというもの。矯正・教育を正とする世界では、彼のスタイルはウィリーして走るかの如く悪目立ちしています。
ただ彼は、世界からの糾弾で落ち込んでも、文明の利器には頼りません。そんなものは、無用の長物。愚かな猿はあるがままで良く、雨を避ける必要も、弱気を粉砕・発散する必要もありません。なんなら、弱気に一晩だって付き合ってやります。
彼は、自分が無敵ではないと分かっています。そんな彼は、世界の波に削られて落ち込むこともありますが、弱さを敵ではなく友とし、また立ち上がるのです。彼は、胸に輝く夢の光を追って、今日も愚かな猿としてデコボコ道を駆けていきます!
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さいごに
私が、この「ウィリー」はスピッツらしいと感じる一番の要因は、やはりその歌詞になるのでしょう。別に強くはないのに我が道を往こうとする主人公の姿には共感を覚えますし、勇気も感じるところです。私も自分なりのスタイルで、人生を駆けたいです!