スピッツの曲

スピッツの「タンポポ」の魅力を語る。歌詞の意味も独自解釈

スピッツの「タンポポ」のイメージ
こんな記事

「素晴らしい音楽なくして、素晴らしい人生なし」。この記事は、そんな私の人生を彩ってくれる楽曲たちを紹介していくコーナーです。

今回ご紹介する「タンポポ」は、スピッツのデビューアルバムの収録された、物悲し気な雰囲気が印象的なスローバラード。

この記事では、「タンポポ」への感想を語り、その歌詞が描く世界も考えていきます。「タンポポ」が持つ悲しげな雰囲気を、果たして私たちは、どのように受け取ることが出来るのでしょうか?

「タンポポ」とは

「タンポポ」は、1991年発売のデビューアルバムの収録楽曲。スピッツがデビューする前から完成した楽曲のようですが、「その存在を忘れられていた楽曲」と言う話もあるようです。ある意味、この曲でのタンポポと同じ境遇を辿っています(笑)

曲名曲調一般知名度お気に入り度
1タンポポスローバラード
タンポポのイメージ

1. 演奏とボーカル

曲には幻想的な雰囲気もあり、蜃気楼の中を彷徨っているような感覚になります。その雰囲気から言って、その後に発売されるミニ・アルバム「オーロラになれなかった人のために」に収録されていても違和感がない感じに聴こえます。

個人的には、膨らみと軋みを感じるエレキギターのソロがとても気に入っています。曲が持つ幻想的な雰囲気を上手く引き立てていますね。また、音色がどことなくQueenのレッドスペシャルっぽく感じるところも、個人的な注目ポイントです。

ボーカルに関して言えば、少年が歌うスローバラードという印象です。また、この曲は使用音域が低めですので、草野さんの中低音域を楽しむことが出来ます。こういう低めの曲は、今の草野さんが歌ったら、凄く沁みるような気がしますね。

an image of haze

2. 個人的な想い

この「タンポポ」は、初期のスピッツによく見られる、幻想的な世界観を感じる曲です。また、歌詞が描く世界も意味深で、目を引かれます。悲し気な演奏と意味深な歌詞とが合わさって、聴き手を曲の渦に引き込むような雰囲気を作り上げています。

そんな「タンポポ」は、このアルバムで唯一、5分越えの収録曲です。ただ決して、この「タンポポ」は、冗長な曲ではありません。この曲の、ゆったりと包み込むような雰囲気に身を委ねたならば、その世界は、あっという間に過ぎ去っていくのです。

この曲の描く世界を考えるのは非常に魅力的な試みですが、逐語的な翻訳に捉われる過ぎるのは、そぐわない気もします。ですので、「木を見て森を見ず」よりは、「森を見て木は見ず」で、感覚重視の解釈の方が良いかもしれません。

an image of forest

 

歌詞の世界を考える

ここからは、「タンポポ」が描く世界を考えながら曲の解釈をしていきます。今回の解釈のテーマは、「避けられない別れと成長」としてみました。そんな今回の曲の解釈は、以下の4つのトピックから構築してみました!

これはただの妄想であり、他人に押し付ける物ではありません。この曲を楽しむための私なりの妄想というだけですから、ご容赦ください

1. 二人と世界

まず、冒頭の「隣の世界」という描写は、複数の世界の存在を暗示していると考えました。また彼は、「隣の世界」には入ることが出来ないとも歌っています。このことから、「隣の世界」が、彼が属する世界とは別の世界を指していると推理できます。

ところで、この曲にはどこか幼さを感じます。例えば、「額」を表す歌詞に幼児語が選択され、サビでは擬音語も使用されています。この「幼さ」と「二つの世界」への示唆を合わせて考え、この曲は、年齢、成長がテーマなのではないかと考えました。

また、彼が「隣の世界」を観察していることは、彼の「子供の世界」の終わりが近づいていることを意味していると思います。「子供の世界」の端っこにいるからこそ、その先にある「隣の世界」を覗き見ることが出来るのですから。

ところで、曲内においては、二人の性別に関する言及はありません。確かなことは、二人が強い信頼関係で結ばれているであろうということ。今回の解釈では、二人は、少年期の終わりを目前に迎えて青年期へと近づいている、仲の良い男女のペアだとして考えていきます。
覗き見るイメージ

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2. 覗き見た世界

主人公と君の二人は、二人だけの世界の中で、目いっぱい楽しんで生きてきました。二人の世界は、ただただ美しい世界。彼らを憂鬱にさせる物などなく、感動だけを運んで来てくれる世界。そんな世界の端っこに立った彼は、新しい世界を覗き見ます。

彼の視界の先の「隣の世界」は、彼が属する夢の世界とは、完全に異なる物でした。その世界は、彼を失望させるようなゴミで溢れかえっていたのです。そんな世界の中では、二人の世界を照らす純情の象徴である太陽でさえ、汚れてしまっています。

さらに極めつけに、その世界には煙が充満しているようです。この煙は、彼らの世界を包む澄んだ空気と対比される、汚れた空気の象徴かもしれません。彼は、そんな煙の充満した世界では、息も出来ないだろうと感じているようです。

サビにおいては、「回る」という言葉が繰り返し使われています。これは、地球が回り、時が流れることを示唆しているのではないでしょうか。そして彼は、二人の日々が終わりつつあることに気づいています。二人の夢のような日々も、確実に過去の海へと埋没していくのです。
an image of trash

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3. 最後の世界

もう間もなく、お別れの時が来る。世界の終わりを悟った二人は、最後の時を目いっぱいに楽しんだはずです。そんな様子が、2番のメロで歌われています。この時の想い出は、彼にとって後から大切に振り返るほどに大切なものになりました。

「赤フィルター越しの世界」とは、夕日に染まった世界を示しているのだと考えています。彼ら二人が、彼らの庭であるかのように遊びまわった、大切な場所。他の誰も知らない、二人だけの宝物。そんな世界は一面、夕日色に染まっているのでしょう。

その世界を好き放題に駆け回った彼らは、体中擦り傷だらけ。特にその額には、ひときわ大きな物が見えます。しかし、二人にとっては、そんなことは問題ではありませんでした。彼らの目に映るのは、この世界では美しく輝く夕日だけなのです。

時は等しく流れ、全てを過去の想い出の中へと押しやっていきます。時間は、二人の日々にも冷酷に終わりを運んできます。彼は、別れが避けられないことを理解しています。しかし、その理解が何の役に立つというのでしょうか。寂しさに包まれた彼の心は、泣いているのです
the image of the sun

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4. 次なる世界

最期のサビで独白されるのは、君に傍にいて欲しいという気持ち。繰り返されるその歌詞からは、彼の真剣さが伝わってくるようです。彼が覗き見た「隣の世界」で生きることは、彼にとって苦痛でしょう。だからせめて、君には傍にいて欲しいのです。

しかし彼は、この願いが叶わぬ願いであることも分かっています。二人の日々は、永遠ではない。彼は、いつまでも子どものままでいることは出来ないと知っています。誰もが、運命の鐘が鳴るとき、それぞれの道を進んでいかなくてはならないのです。

そんな彼の目に映るのが、タンポポ。踏みつけられても、再び起き上がる花。アスファルトの端でひっそりと咲く花。試練を撥ね退ける、弱そうで強い花。彼も、そんなタンポポのように、試練を乗り越えて成長していくことが出来るでしょうか?

二人に訪れる別れは、「生命の終焉」ではなく、親の都合や進学の関係でどこか遠くへ引っ越すとか、距離的な隔絶による物だと考えました。この前提に立った場合、子どもである主人公にとっては、その離別は、永遠の離別のように思える物と考えても良いのではないでしょうか。
道端のタンポポのイメージ

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さいごに

以上が、スピッツの「タンポポ」に関する私なりの曲解釈でした。私がこの曲から感じるのは、完全な陰鬱とした雰囲気ではない、という感覚を大切にして物語を考えてみたつもりです。二人がいつか、また出会えるといいなと思います!

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