「素晴らしい音楽なくして、素晴らしい人生なし」。この記事は、そんな私の人生を彩ってくれる楽曲たちを紹介していくコーナーです。
今回の「まがった僕のしっぽ」は、スピッツの16thアルバム「見っけ」の収録曲。スピッツの挑戦心を感じる、異国情緒溢れた曲です。
この記事では、そんな「まがった僕のしっぽ」の魅力を語りつつ、歌詞の意味も考察。憧れに従って冒険に出た青年の物語を考えました!
「まがった僕のしっぽ」とは
「まがった僕のしっぽ」は、スピッツが2019年に発売した16thアルバム「見っけ」の収録曲。前曲の「はぐれ狼」は、爽やかで強いロック曲でしたが、この「まがった僕のしっぽ」は、極端な曲調の変化が興味深い、異国放浪譚的な一曲ですかね!
曲名 | コメント | 一般知名度 | お気に入り度 | |
1 | まがった僕のしっぽ | 異国放浪譚 |
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「まがった僕のしっぽ」の印象
「まがった僕のしっぽ」は、アルバムを代表する一曲でしょう。歌詞のテーマとしては、私の大好きなQueenの名曲「Spread Your Wings」と近しいものを感じています!以降では、そんな「まがった僕のしっぽ」の魅力を以下の3点で語ります!
1. 演奏について
「まがった僕のしっぽ」には、スピッツらしさが溢れています。新たなスタイルに挑戦し続ける気概、歌詞で歌われる精神性、そしてロックエナジーを感じる演奏。本曲は、これらスピッツらしさが集められた、アルバム随一の力作と言えるでしょう。
曲に感じる異国感の中心にあるのは、イントロから印象的なフルートの演奏ですね。メロの背後でも舞い踊るかように響き渡るフルートは、シリアスでありながらもどこか温かい。風来坊の精神性を音色で表現するなら、きっとこんな感じでしょうね。
そして何といっても、そんなやや飄々としたメロパートから魂の咆哮を思わせるようなロックパートに移る様こそが、この曲のハイライトになるでしょう。そして、そこで歌われる内容もスピッツの精神性のコア。まさに、心に刺さるサビですね。
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2. ボーカルについて
「まがった僕のしっぽ」が持つ深みを醸し出す最大の要素は、そのボーカルだと言えるでしょう。深い広がりを持ったハスキーなメロと、十八番でもある輝く高音が躍るサビのコンビネーションには、草野さんというシンガーの魅力が詰まっていますね。
また、曲全体としてコーラスの使い方が魅力的です。メロでのコーラスが曲に立体感を加える一方で、コーラスを殆ど排除したサビには一本気な魂の咆哮を感じます。このコーラスの使い方も、曲にメリハリを加えている大切な一要素だと言えるでしょう。
曲で使用する音域は広く、特にサビパートではかなりの高音が連発されます。ただそれでも、草野さんの高音は先細りを見せるどころか輝きを増して力強く響くのです。このボーカルがあるからこそ、サビには魂の咆哮を感じるのだと言えるでしょう。
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3. 歌詞について
歌詞に沿った物語の考察は後段で行いますが、より普遍的な目線でこの曲を見たとき、私はその歌詞がスピッツの精神性を体現していると感じています。それはつまり、本心と常識の正解が対立しても、我が道を往くという冒険的な精神ですね。
その歌詞には、本当の自分という概念を強く感じています。例えば、本心に沿って初めて自分の生を全うしていると言えるということ。また、挑戦するのが愚かだと嗤われるとしても、本心がそれを望むならば挑戦すべき、という激励も感じますね。
また、微かに攻撃的な歌詞には、主人公が持つ常識への反抗心が窺えます。さらに、オンボロ船しか用意できない彼は平凡な存在のはずですが、彼は強い意志で旅に出るのです。これは、どんな挑戦も意志あってこそ、という私の信念を強めてくれます。
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歌詞の世界を考える
ここからは、「まがった僕のしっぽ」の歌詞を追いながら、その歌詞の意味する世界を考えていきます。今回の考察テーマは、「魂の声に従って」としました。なお、そんなテーマを補足するトピックとして、以下の4つを準備してみました!
解釈は私の感想に過ぎず、全くもって他人に押し付けるものではありません。また、作詞意図に沿った「正解の解釈」より、私の感想が優先されます。なお以下で、私の解釈のスタンスをまとめています!
1. 考察の前提
先述したように、この曲に私が感じる普遍的解釈は、「挑戦の重要性」です。以降の解釈では、この感覚を中心に据えながら、歌詞の物語に沿ってより具体的な想像をしていきます。もちろん、曲中の主人公の本心に沿った挑戦の物語になるでしょう。
ところで、私にとってタイトルの「まがった僕のしっぽ」では、「まがった」という部分が重要です。ここでの「まがった」とは、常識と対立する本心、愚かと嗤われることもある精神性を表し、彼はそのまがった魂に誇りを持っているものとします。
また、歌詞には「常識」と「本心」の対比を感じます。常識側に属するのは、例えば2番の男であり、サビでの理想を嗤う籠の中の誰か。そして本心側には、君、地平の果て、甘菓子、花畑、禁忌の絵、旅、つまり魂が望む挑戦などが属するでしょう。
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2. 始まりの街
旅立ちの時は、近い。辿り着いた街の香りを胸一杯に吸い込み、彼は胸の高鳴りを抑えきれずにいました。彼がこの街に来たのは、この街が海と呼ばれる場所に接しているから。初めて見るこの海の先には、全く未知なる世界が広がっているらしいのです。
彼には、初めて訪れたこの街に漂う香りが、懐かしく感じられました。厳格な掟に従って生きた日々では縁のなかった甘い香りが、この街からは立ち上っています。この街の匂いは、掟など知らずに好奇心だけで過ごした幼き日々に感じた匂いでした。
思えば、彼が故郷を旅立ってから、随分と時間が経っていました。ここまでの道中、彼は風を友とし、無数の星々の瞬きを美しき帳として眠ったものでした。そして彼はついに、この街にたどり着きました。その胸に、地平の果てへの憧れを膨らませて。
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3. 賢人の教え
翌日、海へと向かう道すがら、彼は思わぬ会話を交わすことになりました。彼の冒険の計画を知った見知らぬ男が、厳しい表情で彼にその中止を勧告したのです。男の口調は幼子に道理を言い聞かせるようであり、自身の正当性を確信した響きがありました。
男は、こう言いました。いいか、坊主。この街でも、ある程度は刺激ある日々を送ることが出来るし安定だって手に入るのに、若造が単身荒波へ漕ぎ出すのは愚かの極み。己の青さと限界を知って、この街で満足するのが賢い在り方ってもんだ、と。
確かに、男の言い分にも一理あります。彼自身そう思う部分があったからこそ、長らく幼き日の好奇心を封印して、掟に従って生きて来たのですから。ただこの賢き助言は、悩みの果てに出た旅路で真の充実感を知った彼には、もう届かないのでした。
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4. まがった僕のしっぽ
賢人の言葉を振り切り、彼は海岸へとたどり着きました。浜辺に打ちあがった船を見繕った彼は出来る限りの修繕を施し、船を水面に浮かべました。この大海原の先には危険と苦難とが溢れているでしょうが、それを凌駕する感動もあるに違いありません。
鳥籠の生とも知らずその頂きが全てと考える人生や、籠の外の理想郷に憧れる心を嗤う人生など、彼には真っ平御免でした。世界がいくら鳥籠の生の正義を説いても、彼はその「清く正しい人生論」を、愚かな冒険という禁忌で塗りつぶしてやるのです。
命が必ず果てるなら、その旅は魂を燃やして大海原に漕ぎ出してこそ価値がある。彼にとっては、鳥籠の中の安寧など無価値でした。彼は今、そんな非常識のまがった心を羅針盤に、オンボロ船で漕ぎ出します。愚かな青さと憧れをその胸に抱いて!
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さいごに
曲解釈は、あくまで私の人生観に基づく解釈で、スピッツの主張そのものではありません。また、私の価値観が正解で、他の価値観が間違いだとも思っていません。それぞれに望む道が異なって当然ですから、曲解釈は私見であると強調しておきます!