スピッツの曲

スピッツの「1987→」の感想。「解き放て」を軸に、歌詞の意味も考察

「1987→」のPVに出てくるカセットのイメージ
こんな記事

「素晴らしい音楽なくして、素晴らしい人生なし」。この記事は、そんな私の人生を彩ってくれる楽曲たちを紹介していくコーナーです。

今回の「1987→は、スピッツが2017年に発売したベスト盤に追加収録された3曲の新曲のうちの一つ。あえて研がない粗削りなエナジーの迸りを感じる、ロックバンドの矜持を感じる一曲です。

以降では、そんな「1987→の魅力を語りつつ、歌詞も考察。良き同志を得て、無様でも楽しく生きていく青年の物語を考えました!

「1987→」とは

「1987→」は、2017年にスピッツが発表した楽曲で、スピッツのシングルを集めたベスト盤に新曲として収録されました。そんな「1987→」は、スピッツの原点、ロック魂を飾らない素直なスタイルで迸らせる、シンプルな楽曲だと感じています。

曲名曲調一般知名度お気に入り度
11987→エナジーロック
ロックなイメージ

1. 演奏への印象

「1987→」の演奏には、スピッツのホームを感じています。曲を聴いていると、スピッツはこういう音楽がやりたいんだろうな、という感覚になるのです。ロックに限らず心躍る音楽なら何でも好きな私ですが、この手のエナジーロックも大好きですね。

また、「1987→」の演奏の一部は、ネット情報によれば「泥だらけ」というインディーズ曲と同一らしく、そこにも意図を感じます。歌詞もPVも演奏も標題も、「1987→」の全てはスピッツのアイデンティティに結び付いているのですね。

そんな、スピッツの原点を感じる「1987→」の勢いある演奏には、2019年に発表され草野さんが自画自賛していた「悪役」と似たような雰囲気を感じています。両曲とも、流れ出たエナジーに身を委ねて心を解き放ちたくなるような楽曲ですね。

心を解き放つイメージ

2. 個人的な想い

この「1987→」は「醒めない」と同じく、それまでのバンド活動を振り返りつつファンへの想いを歌った曲だと感じます。曲中の「君」は私たちファンのことなのでしょう。まぁ、美しいとか言われると「いやいや、そんなことは」と思いますが(笑)。

過去の映像を多用するPV、バンド活動の起伏を思わせる歌詞、スピッツ結成年と一致するそのタイトル。いずれもスピッツのバンド活動の旅路を匂わせています。「1987→」はロックテイストが強めの「旅の途中」的な曲とも言えるかもしれませんね。

また、タイトルの「→」は旅の起点を表すと同時に、スピッツの旅、即ちロック大陸での漫遊はまだまだ続くという意味を含むと感じています。私も一ファンとして、スピッツが見せてくれる雄大・繊細・ヘンテコ、色とりどりの景色を楽しみにしています!

ロック大陸の景色のイメージ

 

歌詞の世界を考える

ここからは、「1987→」の歌詞を追いながら、その歌詞の意味する世界を考えていきます。今回の考察テーマは、「心を自由に解き放て」としました。また、そのテーマを補足するため、以下の4つのトピックを準備しました!

解釈は私の感想に過ぎず、全くもって他人に押し付けるものではありません。また、作詞意図に沿った「正解の解釈」より、私の感想が優先されます。なお以下で、私の解釈のスタンスまとめています

心を解き放つイメージ

1. 考察の前提

この「1987→」はスピッツからのメッセージソングに思えますが、今回はその感覚は切り離して人生論的な視点で歌詞を捉え、より一般化した解釈を考えます。従って、以降の解釈はスピッツやメンバーを論評するものではないこと、ご留意ください。

さて、歌詞には主人公と君が登場します。彼は狼ではなく犬、英雄ではなくモブですから、強・弱では弱に属する青年だとします。また、誰もが好みそうな賑やかな祭りから抜け出す彼の姿から、彼は主流派に属さない独自の価値観を持つ青年だとします。

一方、美しい君は彼には高嶺の花、つまり狼や英雄の傍が似合う花です。彼は、モブの自分が抱く恋心は白き君を汚すものと考えていますが、かと言って自重する気もありません。以降では、身の程を飛び越え、心のままに生きる青年の物語を考えます。

「1987→」はバンド目線の曲ですから、その解釈の一般化にあたっては特殊用語の一般化が必要です。そこで、バンドにとっての音や歌はその存在意義と考え、人にとっては生き方であるとします。また、ハコはバンドが輝くライブ会場と考え、人にとっては生きる舞台としました。
弱い犬のイメージ

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2. 狼を目指せ

賑やかな祭りを離れ、暗がりへと歩み出した彼。誰もが楽し気な華やかな祭りは、優しく、華やかで、笑顔溢れる場所。ただ彼にとってそこは、明るすぎて退屈な世界。だから彼は、心躍らせる舞台を求めて、一人暗がりへと歩き出したのでした。

誰もが満足する場所をあえて離れ、一人で我が道を往く。ああ、その自分の姿は何とクールなことか。彼は得意な気分で、肩をそびやかして歩くのでした。ただその姿は、彼にとっては本心の発露でありつつも、同時に少しの強がりも含まれていました。

だって、彼の本質は狼ではなく犬。彼は、颯爽と闇を切り裂いて孤高の道を往く頑強な狼ではなく、本心では闇を恐れる臆病な犬なのです。ただそれでも、闇の先にあるかもしれない新世界への想いは彼を掻き立てて、犬の彼を先へと進ませるのでした。

退屈な世界を離れた彼が求めるのは、彼の心を躍らせる世界。とは言え、犬の彼には刺激だらけの世界は荷が重いかもしれません。だから彼は、ちょっぴりだけ自分の限界を超えた世界を求め歩くのでした。そんな世界を繰り返し渡れば、彼はいつの日か狼になれるかもしれません。
彼が歩む道のイメージ

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3. 柵を越えて

明るい世界を離れて一人暗がりを進んだ彼は、幾つかの出会いを経て旅の道連れを得ていました。彼の道連れは、みんな犬。ただし、彼と同じく狼に憧れて気取った犬たちでした。同志を得た彼は、ますます気炎を上げて狼気分を強めるのでした。

とは言え、彼はも自分が犬であることは分かっています。暗がりを進むのに恐怖を感じていたのは、彼が狼ではなく犬である何よりの証左なのですから。ただ彼は、自分が犬だからといって犬の領分に留まり、そこで安穏と過ごしたくはないのでした。

犬は狼になれないと、一体誰が決めたのか。彼は、自分に張られた犬のレッテルを越えたいのでした。犬が狼を気取るのは滑稽かもしれませんが、狼気取りの犬には純粋な狼には思いもよらない、奇妙でも素敵な日々を送ることが出来るはずです。

狼を気取っても、ふと鏡を見ればそこには犬の自分が。そんな時、鏡は意地悪く笑い「お前は永遠に誰かの踏み台だ」と囁きかけてくる気がしました。ただ、彼はそんな意地悪に屈したりはしません。一人ならいざ知らず、彼には自分と同じ身の程知らずの同志たちがいるのですから。
鏡のイメージ

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4. 1987→

同志を得て歩き続けた彼ですが、まだ弱い犬のままでした。彼は未だに、荒涼とした岩山を駆け上ろうとして躓いて転んだり、警戒心ある狼ならば踏み込まない泥だまりにハマったりするのです。ただ彼は、そんな今の自分に満足感を覚え始めていました。

狼に憧れていた彼は今、もっと自然で大らかな姿に惹かれていたのです。彼はきっと生粋の狼にはなれないでしょうが、それはもはや問題ではありません。自分が狼ではない証、ドジでこしらえた擦り傷の痛みさえも、何処か心地よく感じられるのでした。

そして、そんな彼の心では最近見つけた一輪の花が揺れていました。高嶺の花に思えても、臆してはいけません。大切なのは名札ではなく行動なのです。だから彼は、これからも好き勝手に振舞うでしょう。思い上がった愚かな心が消される日まで!

私にとって、一般的な目線で見た「1987→」は、強いとは言えない主人公が強い存在に憧れ続ける中で同志と出会って共に生きるうちに、いい意味で力が抜けていく物語。大切なのは、狼や英雄になって華麗に生きることではなく、無様でもいいから心を開放して生きることなのです!
彼が見つけた美しい花のイメージ

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さいごに

「1987→」には、色々ありましたが今は最高に楽しいです、という喜びを感じています。そこで、今回の解釈ではその充実感を結末に流し込みました。つまり、無様でも、泥をかぶっても、狼になり切れない犬のままでも、結局は幸せという結末ですね!

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