「素晴らしい音楽なくして、素晴らしい人生なし」。この記事は、そんな私の人生を彩ってくれる楽曲たちを紹介していくコーナーです。
今回の「甘ったれクリーチャー」は、スピッツの11thアルバム「スーベニア」の収録曲で、スピッツらしい歌詞が魅力的なロック曲です。
この記事では、そんな「甘ったれクリーチャー」の魅力を語り、歌詞の意味も考えます。「愚かになれ」を軸に、曲の物語を考えました!
「甘ったれクリーチャー」とは
「甘ったれクリーチャー」は、スピッツが2005年に発売した11thアルバム「スーベニア」の収録曲。前曲の「ありふれた人生」は切なさを感じる曲でしたが、「甘ったれクリーチャー」は、向こう見ず気味なエネルギーを感じるロック曲です!
曲名 | 曲調 | 一般知名度 | お気に入り度 | |
1 | 甘ったれクリーチャー | トンガリロック |
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1. 演奏への印象
「甘ったれクリーチャー」の演奏は、力強いエネルギーを感じるもので、ロックバンドスピッツの魅力が詰まっています。テンポはミディアムであり、ど派手な曲ではありませんが、その代わりに腹の底に響いてくるようなロックの魂を感じています。
演奏の力強さを感じるには、イントロを数秒聴くだけで十分です。ドラムの軽打で幕を開け、ロックなギターと低音轟くベースが織りなす演奏は、「甘ったれクリーチャー」という曲が持つ、ロックなエネルギーを強く感じさせるものです。
また、ボーカルのパンク的雰囲気も、曲に強さを与えています。極端なやり方ではありませんが、声の出だしに勢いを加えたり、語尾処理にトンガリ成分を加えたり。例えば、前者はサビで、後者はAメロ最後の「て」の声に感じる要素ですね!
2. 個人的な想い
「甘ったれクリーチャー」は、ザ・スピッツという曲だと感じています。ミディアムテンポのパンクの雰囲気を感じる曲という点でも、初期の「トンビ飛べなかった」や、中期の「放浪カモメはどこまでも」的な、スピッツに連なるDNAを感じています。
これまでに何度か言及していますが、「ラララ」などのそれ自体に意味のない歌詞が採用されるとき、私はそこに魂により近い感情を感じます。後付けの言葉に魂を代弁させるのではなく、魂の色がそのまま放出されているような感覚を覚えるのです。
この意味で、「ラララ」という歌詞で結ばれる「甘ったれクリーチャー」は、私にとっては「魂の放出」を感じる曲。スピッツが感じていること、主張したいことを自然な形で放出した楽曲が、この「甘ったれクリーチャー」だと感じています!
歌詞の世界を考える
ここからは、「甘ったれクリーチャー」の歌詞を追いながら、歌詞の意味する世界を考えていきます。今回の考察テーマは、「さあ、愚かになれ」としました。また、そのテーマを補足するために、以下の4つのトピックを準備してみました!
曲解釈は私の想像であり、他人に押し付ける物ではありません。ただ、出来る限り想像の根拠が提示できるように、歌詞とリンクさせながら進めていきます。私の想像を楽しんでいただけると、嬉しく思います!
1. 考察の前提
私が「甘ったれクリーチャー」にスピッツの本質を感じていることは、既に述べました。そして、その私が思うスピッツの本質の一つが、「自分らしさの追求」です。つまり私は、「甘ったれクリーチャー」は、「自分らしさ」を謳う曲と捉えています。
また、パンク感の強い「甘ったれクリーチャー」は、歌詞内容が常識と対立するはずですが、それを顕著に示すのが曲タイトルでしょう。主人公は常識的な観点では、世間知らずの「甘ったれ」であり、賢い人間ではない「クリーチャー」なのです。
そう、主人公は「はみ出し者」。ただ、これはスピッツ歌詞に頻出ですが、彼は「はみ出し者」であることに誇りを持っているのです。これらを踏まえ、以降では、世界の波にも負けず、自分らしい愚かさを全身全霊で追いかける主人公の姿を考えます!
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2. 何故だか折れず
彼にとって、世界は冷たい場所でした。この世界で一人前として認められるためには、常識という正義の型に身を当てはめて、「賢い生き物」になっていく必要があります。しかし彼は、その世界の中にどうにも馴染めない感覚を抱えていたのです。
そんな世界の中で、彼は凍える想いで日々を過ごしています。自分の考えを曲げて、世界の型にはまり込んでいったなら、この寒さもなくなっていくのかもしれません。しかし、彼が感じる違和感は、彼の信念の幹。それを切り倒すわけにはいきません。
世界に馴染めないままで日々を渡るのは、決して楽なことではありません。ただ、彼は今のやり方を曲げるつもりはありません。彼は、いつか自分らしく輝く日を目指して、四苦八苦しながらも、ここまでひたすらに歩を進めてきました。
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3. やがて出会う光
弱気な心を持ちながら、世界からの強い圧力に何故だか膝を折ることはなかった彼。彼は、決して自分らしさの灯を消すことなく、世間の風から守り抜いてきました。彼には何故だか、やがて望んだ未来が開かれるという予感もありました。
世界は、相も変わらずに彼に成長を促します。幼く愚かな心を捨て、成熟した賢い人間となって、世界の繁栄の一助となれ、と。そうすれば、彼にも温かな幸せが訪れる、と。ただ彼は、その教えに曖昧な笑みを返しつつ、距離を取り続けてきました。
彼は、自分が世界から見て、世間知らずの甘ちゃんだと分かっています。彼は、賢くなる道を放棄した愚かな動物、クリーチャーだとも言えるでしょう。ただ彼には、愚かなクリーチャーでいることに問題があるとは、どうしても思えないのでした。
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4. 甘ったれクリーチャー
君に出会った彼は、それまでの慎重な姿勢をかなぐり捨て、即断速攻で君に近づいていきます。冷静に段取りした計画ではありませんし、彼は恋に手慣れている訳でもありませんから、君に主導権を取られて翻弄されることも多くなるでしょう。
しかし、それも彼の望むところ。賢き人間として世界の教えに従って安定と繁栄を目指すより、愚かな動物の本能に従って一瞬の日々を楽しむことが彼の望み。彼は、愚かな動物になってその瞬間に全身全霊で存在し、生きる喜びを噛みしめたいのです。
動物に過ぎない人間の日々は、泡沫の夢。その生命の旅も、世界が言うような栄光ある右肩上がりではなく、最期に向かって転げ落ちるだけのもの。しかし、だからこそ。彼は今日も、愚かな「甘ったれクリーチャー」として心を躍らせ、君を追います!
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さいごに
「甘ったれクリーチャー」は、私にとって人生応援歌。愚かさを肯定的に描くスタイルは、スピッツの歌詞には頻出のパターン。とはいえ、それが陳腐に感じることはなく、私も一匹の「甘ったれクリーチャー」として、前に進む勇気を頂いています!
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