スピッツの曲

スピッツが作る「うめぼし」の魅力を語る。歌詞の意味も独自解釈

スピッツ「うめぼし」のイメージ
こんな記事

「素晴らしい音楽なくして、素晴らしい人生なし」。この記事は、そんな私の人生を彩ってくれる楽曲たちを紹介していくコーナーです。

今回ご紹介する「うめぼし」は、スピッツのデビューアルバムに収録された楽曲で、アコギによる弾き語り調のバラードです。

この記事では、「うめぼし」への感想を語ったうえで、少し捻くれた歌詞が描く世界の意味も考察していきます。この曲における「うめぼし」とは、いったい何を象徴しているのでしょうか?

「うめぼし」とは

「うめぼし」は、1991年発売のデビューアルバムに収録された楽曲。アルバムの中では、アルバムの最終盤、11曲目に配置されています。前曲の「夏の魔物」によって作られたピークの余韻を静かに楽しむような、スローバラードだと感じています。

曲名曲調一般知名度お気に入り度
1うめぼしスローバラード

1. 演奏とボーカル

この曲の演奏の主役は、間違いなくアコギでしょう。ボーカルギターがきちんとできる人からすれば当然なのでしょうが、良く歌いながら一定のリズムを刻めるものだと感心します。右手のストローク、結構忙しいのではないでしょうか?

曲の背後のコードギターの少しミュートされた弦の音、完全には響かないアコギの音色がとてもお気に入りです。ただ、一番好きなのは、曲のラスト。ジャラララン・・・という音色に、私がアコギが大好きな理由の殆ど全てが詰まっています。

ボーカルに関して言えば、メランコリックな憂いを含んだ、ややハスキーなもの。ポップなボーカルが多いこのアルバムにおいて、やや異色です。掠れ気味のボーカルは、この曲が持つ切ない雰囲気を見事に表現していると感じています。

an image of the guitar

2. 個人的な想い

この曲の歌詞は、草野さんの枠にはまらない作詞スタイルが良く表れていると言えるでしょう。サビの部分が、特にそうです。酸っぱいうめぼしへの心情が歌われた後、さも当然の帰結のように、君に会いたいという気持ちが続きます。

聴き手からすると、「え?なんで!?」と、思わず突っ込みたくなる謎の論理展開。セオリーから言えば、歌詞には起承転結を作り、物語がイメージしやすいようにするべきなのかな、と思います。しかし、この歌詞は、そんなセオリーは完全無視です!

しかし、草野さんは、「いえ、普通です」と言わんばかり。そして、我々ファンは、色々すっ飛ばした世界の奥に隠された何かを「あーでもない、こーでもない」と盛り上がるのです。そんなスピッツスタイルの典型が、「うめぼし」の歌詞に表れています。

an image us spitz fan, who are eager to discuss Spitz songs

 

歌詞の世界を考える

ここからは、「うめぼし」の歌詞の世界を考えながら、その世界観をより具体的に考察していきます。今回のテーマは、「渇きと潤い」とします。そんなこの曲の世界観を説明するため、以下の3つのトピックを準備してみました!

これはただの妄想であり、他人に押し付ける物ではありません。この曲を楽しむための私なりの妄想というだけですから、ご容赦ください

1. 二人の関係

登場する僕と君は、若い男女と考えています。その関係を考えると、寂しさに包まれた彼が、君に会いたがっている描写が気になります。このことから、君は、彼の寂しさを埋めてくれる存在だと推測できます。二人は、恋人関係にあると考えてよいでしょう。

主人公の日常は、窮屈で刺激の足りない物の様です。メロで歌われる、枠に捕らわれた感覚や、サビで歌われる寂しい気持ち。いずれの描写も、主人公が自分が送っている生活に満足していないことを示唆するものだと考えています。

主人公は2番のメロで、穏やかさだけでは満足できないと語ってますが、そんな彼が会いたいのが君なのです。君は、厳しいこともズバズバ言うタイプのようです。互いに干渉しすぎない「枠の社会」では、そんな君は、刺激的に思えることでしょうね。

「うめぼし」は、君が持つ刺激性を表す象徴として解釈します。「うめぼし」を口に含んだときの、ツーンと来る酸っぱさと、ほっぺが落ちるような何とも言えない感覚。主人公の、枠に捕らわれた色のない生活を鮮やかな色をもたらすのが、「うめぼし」としての君なのでしょう。
an image of the brightness she has

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2. 彼の現実と本心

1番のメロでは、彼の生活が窮屈である理由が描かれています。彼の心は、型にはめられているのです。その象徴が、その心に付けられた値札だと言えるでしょう。本来自由のはずの彼の心ですら、社会が求める形を取り、その評価の対象となっているのです。

そんな社会と対照的な物として描かれているのが、「占い」です。ここでの「占い」は、根拠が薄い物の象徴です。型が正義の社会では、「占い」に頼るなど言語道断。しかし、彼の本心は、「占い」のような合理性の枠を外れた生き方を欲しています。

そんな彼が望む生き方を象徴しているのが、2番メロの水たまりに飛び込む描写です。まるで、小さな子供のような行動。しかし、水たまりに飛び込んだ子供は、泥ハネなど気にせず、大喜びするでしょう。合理性の枠を超えた至福が、そこにあるはずです。

この曲からは、スピッツの特徴の一つ、常識に反した行動への誘いを感じます。「無理矢理、自分に合わない枠に合わせるのではなく、もっと愚かで幼い掟に身を委ねてみたら?」とか。誤解なきように言っておくと、社会抵抗への誘いではなく、自己解放への誘いです。
an image of frame we have to put ourselves in

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3. 梅とうるおい

「うめぼし」の酸っぱさは、少し手厳しくも温かい君の性格を象徴する物として扱われているはずです。ただ、それ以外にも「うめぼし」と聞いて、浮かんできた逸話がありました。それは、中国・三国志の英雄である曹操に纏わる逸話です。

ある時、夏の日照りの中を行軍する自軍の兵士が喉の渇きに苦しんでいました。そこで曹操は、言いました。「皆の者、もう少し進めば梅の林があるぞ」、と。それを聞いた兵士達は、梅林を想像しているうち、いつの間にか喉の渇きを忘れたのでした。

このように、梅という存在は、潤いをもたらす存在とも解釈できるはずです。つまり、主人公は、枠に捕らわれた窮屈で乾いた生活に潤いをもたらすために、「うめぼし」を欲していると考えることもできるのではないでしょうか。

彼が「うめぼし」を欲するのは、合理と調和の枠の中だけで進行する社会では、本心を出せずに孤独を感じているからなのでしょう。そして君は、手厳しい態度と彼の寂しさを癒す慈愛を持って、彼の人生に刺激と潤いをもたらすのです。もちろん、「うめぼし」のように。
うめぼしのイメージ

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さいごに

ピンクな解釈が強いように感じる「うめぼし」ですが、こんな解釈もありえるでしょうか?私自身があんまりピンクを前面に出した解釈をしたくないので、こういう解釈をしました。別に、ピンクが嫌いという訳ではないのですがね!

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