「素晴らしい音楽なくして、素晴らしい人生なし」。この記事は、そんな私の人生を彩ってくれる楽曲たちを紹介していくコーナーです。
今回の「エトランゼ」は、スピッツの8thアルバム「フェイクファー」の収録曲。ややいわくつきとなったアルバムの先頭バッターですね。
この記事では、そんな「エトランゼ」の魅力を語り、歌詞の意味も考察します。今回は、「ウミガメの心」をキーに、解釈してみます!
「エトランゼ」とは
「エトランゼ」は、1998年にスピッツがリリースした8thアルバム「フェイクファー」の収録曲です。「フェイクファー」というアルバムは、優しげな雰囲気を感じるアルバムだと思いますが、「エトランゼ」は、その雰囲気を体現する一曲です。
曲名 | 曲調 | 一般知名度 | お気に入り度 | |
1 | エトランゼ | 幻想的な小曲 |
---|
1. 演奏への印象
「エトランゼ」の演奏は、スピッツの曲の中でも独特のスタイルですね。草野さんのボーカルが前面に出ていて、その後ろにパイプオルガンのような楽器が鳴らされるだけ。殆どア・カペラスタイルのこの曲には、白き空間と聖なる雰囲気を感じています。
この「エトランゼ」は、僅か1分半程度で終わる曲で、歌詞に至っては50文字もありません。全体のぼやけた雰囲気もあって、蜃気楼のような曲だと感じます。始まったかと思ったら、もう終わっている。まるで、全てが幻だったかのようです。
ただ実は、この「エトランゼ」は、スピッツの20thシングル「流れ星」のカップリング曲でもあり、そのシングル内では8分にも及ぶ楽曲に姿を変えています。いつか、新作CDの初回限定特典にでもならないかな、と個人的に願っているところです。
2. 個人的な想い
私が「エトランゼ」に重ねている、先述のイメージを具体化するなら、白しかない空間といったところ。例えば、ゲームの演出などで良くあるような、既に天に昇った人と、少しの間だけ会話ができる白い場所。白い光が、全てを優しく包む場所です。
また、オルガンっぽい音からは聖なる雰囲気を感じますが、こちらは誰もいない静かな礼拝堂のイメージ。礼拝堂の隅には、古いパイプオルガン。柔らかな光が壁面のガラス窓から差し込み、長椅子を照らしながら穏やかな光の線を描いています。
この曲は、「フェイクファー」の1曲目というより、序章という感じもします。Queenの曲でいうと、「QueenⅡ」での「Procession」のようなイメージ。曲の持つ存在感は大きく異なりますが、聖なるオーラを感じるという点でも似ていますね。
歌詞の世界を考える
ここからは、「エトランゼ」の歌詞を実際に追いながら、歌詞が意味する世界を考えていきます。まあ実際、曲の歌詞は50文字もないのですが・・・(笑)。それはともかく、今回のテーマは「自由な大海原」として考察を進めていくことにします!
曲解釈は私の想像であり、他人に押し付ける物ではありません。ただ、出来る限り想像の根拠が提示できるように、歌詞とリンクさせながら進めていきます。私の想像を楽しんでいただけると、嬉しく思います!
1. 考察の前提
この曲のタイトルの「エトランゼ」とは、フランス語で「異邦人」や「よそ者」という意味だそうです。最適な日本訳がどんなものかはともかくとして、エトランゼとは、場に馴染むことが出来ずに浮いている人を指しているということです。
エトランゼは曲タイトルですから、その言葉は曲の中で重要な意味を持つはずです。そこで歌詞を見ていくと、曲の主人公が街に馴染めていないと感じている歌詞描写がありますから、主人公こそがエトランゼであるとするべきでしょう。
また、曲中に登場するウミガメは、穏やかな性格をした動物であり、大海原を自由に泳ぎ回る存在です。この「エトランゼ」でのウミガメは、自由な心を持って世界を泳ぎ回る存在であり、優しく純粋な心を持った存在の象徴であるとします。
(一覧に戻る)
2. エトランゼ
辛いことは、飲み込んで耐えていかなくてはなりません。社会の海を泳ぐときは、波に抗わず、賢く流れに乗らなくてはなりません。これらを守ることが一人前の条件であると教えられてきた彼は、いつの間にか自由な泳ぎ方も忘れてしまいました。
ただし、彼の作法はその流儀に染まっても、心まではその色に染まり切らないでいます。彼は、その世界の在り方には未だに慣れないのです。今の世界で強い疎外感を感じる彼は、街から逃れるように目を閉じては、ある人を思い浮かべます。
今よりもっと愚かだった自分が出会った、名も知らぬ人。ただ、その人を想うと不思議な力が湧いてきて、闇で覆われた世界すら明るく見えます。ザブン。その不思議な白い力を胸に抱き、忘れていたはずの愚かな泳ぎ方で、ひとかき、ふたかき。
(一覧に戻る)
さいごに
人は、大人になっていくにつれて、ウミガメの心を失っていくのでしょうか。対立する必要のないところにまで意地を張って、お互いを叩き合う。そんな世界から脱するためには、人間に求められているのは、進化ではなく退化なのかもしれませんね。