「素晴らしい音楽なくして、素晴らしい人生なし」。この言葉通り、私は音楽に背中を押されつつ、日々を送ってきたと言えるでしょう。
そんな私が運営するこのサイトの柱の一つが、スピッツの曲考察。多くの魅力を持つスピッツですが、歌詞は間違いなくその一つですね。
この記事では、私の基本的考察スタンスを提示した後で、実際の投稿記事を例に出し、このブログでの考察記事の考え方を説明します!
歌詞考察のスタンス
ライトなファンの私ですが、スピッツの音楽を愛する気持ちは本物です。その愛を表現するための手法として、スピッツ楽曲の個別レビュー企画も行っています。そして、その楽曲レビュー企画の根底には、以下のような前提、考え方があります。
1. ライトな目線で
私は、スピッツが大好きです。ただし、「スピッツ通」かと言われるとそうでもないでしょう。例えば、スピッツファンなら憧れるゴースカに行ったこともありません。そもそも、スピッツのライブにも、悲しいかな、3回しか行ったことがないのです。
この意味で、私はスピッツ素人。もし、一人前のファンとしての越えるべき壁があるとするなら、私はその壁を越えていないでしょう。そんな私は、ただ一般流通しているCDと時々のライブ参加を楽しみにしているライトなファンといったところ。
ですから、スピッツの基礎情報に関して、私が知らないこともあると思います。ただそれでも、私はスピッツが好きと言う気持ちは大切にしたいと考えています。少なくとも、私以上にカラオケでスピッツを歌っている人はそういないでしょう(笑)
(一覧に戻る)
2. 不正解でもいい
私の解釈において、草野さんの作詞意図を当てることは、少なくとも最大の目標ではありません。私にとっての曲解釈とは、草野さんの草野さんの心理を読むことではなく、私という一人の人間と音楽を混ぜ合わせ、その結果を出力することだからです。
つまり、草野さんの作詞意図を知りたい人には、私の解釈は最適とは言えません。そもそも私は、積極的な曲の背景情報の収集を殆どしません。私がスピッツの曲解釈をするうえで、草野さんの意図は必ずしも重要ではないからです。
そう、このブログの歌詞考察は私の感覚ベース。私はそこに、独自性を見出しているのです。事実に基づいた正解探しは、私がやりたいことではありません。私は、私なりの想像力を働かせ、魂と音楽の共鳴を感じ、その感覚を文章にしたいのです。
(一覧に戻る)
3. 音楽は自由なもの
上記とも関連することですが、私は音楽は自由なものだと思っています。私としては、音楽が一たび世に放たれれば、その音楽に触れた全ての人の心に、それぞれの想いが宿ると考えています。作り手と言えど、その心の炎を消すことは出来ないでしょう。
様々な音楽スタンスへの敬意を示したうえで意見を述べるならば、この心の炎への考え方があるからこそ、私個人は曲の背景情報にさほど関心がないのです。繰り返しですが、私にとって草野さんの作詞意図は、必ずしも歌詞考察のコアとはなりません。
勿論、作詞意図への反抗が至上命題であるとは考えていません。大切なのは、あくまで私の感覚が何を言うかで、作詞意図と感覚が合致することもあります。ただ、仮にそうでなくとも、私には問題ありません。私にとって音楽は自由なのですから。
(一覧に戻る)
4. 緩いスタンスで
私は、自分の解釈が唯一無二の絶対のものだとは微塵も考えていません。何なら、時間が経過してから振り返れば、自分が書いた解釈が変わることもあるでしょう。断定的な口調で書いているとしても、あくまで個人の感覚を断じているに過ぎないのです。
私が行う歌詞考察は、事実ではなく妄想ベースなのです。スピッツへの愛を抱え、その愛を迸らせながら、妄想が導くままに筆を取って、いやキーボードを叩いているだけです。私のこの考え方は、音楽は自由という考え方に基づいています。
そして私は、このブログがスピッツの愛を抱えた仲間たちとの楽しい交流の場になれば嬉しいと考えています。私は日々、そんな緩いスタンスで、せっせと妄想を文章にしているのです。他の解釈とぶつかることがあっても、全てを尊重したいと思っています。
(一覧に戻る)
5. スピッツ観 ≒ 人生観
スピッツの音楽は私に深く沁み込み、私の一部を形成しています。私にとってスピッツは人生の相棒であると同時に、不可分の自分自身でもあるのです。つまり、私にとってスピッツの歌詞を語るのは、自分の人生観を語ることと大差ありません。
そして、私の人生観とは「まぁなんとかなる」という楽観的なものです。また、「日陰者でも誇りを持とう」という考え方も大好き。つまり、「楽観性」と「日陰者の誇り」は私の人生観の根幹にあり、私の解釈はそれらの影響を受けたものになります。
やや余談的ですが、スピッツの歌詞には「実は怖い」とか「実はピンク」という裏読みが盛んですが、私がその方向で解釈することはあまりありません。暗すぎる結末やピンク一色に染まった解釈は、私の価値観の最良の友とは言えないからです。
(一覧に戻る)
6. 言葉は追わず
スピッツの歌詞を見る際、私は「木を見ず森を見る」のを好みます。これはつまり、歌詞を逐語的に考えるより、その言葉を包含する概念を見るのを好むということであり、言葉の辞書上の意味ではなく、文脈上での意味の方に主眼を置くということです。
例えば、歌詞中に「掴み取る」と言う表現があるとしても、私はその言葉を必ずしも辞書上の意味では捉えません。むしろ、「掴み取る」→「自分の物にする」→「理解する」のように、意味を数珠つなぎに変換し、概念の共通項で捉えるでしょう。
私が大切にするのは単語そのものではなく、その単語が属する概念なのです。従って、私が曲解釈上で使用する単語は、歌詞に出てくる単語と一致するとは限りません。この意味でも、私の解釈は「正しい解釈」を目指すものではないと言えるでしょう。
(一覧に戻る)
具体的な記事の見方
実際のところ、最初の記事からこのスタンスが確立されていたわけではないのですが、最近の記事では、とあるルールに基づいて歌詞考察を行っています。そのルールとは、「4段考察」。実際に、そのルールに沿った「醒めない」を例に説明します。
1. 4段考察とは
画像が荒くて恐縮ですが、下記が実際に公開されている「醒めない」の歌詞考察パートのスクリーンショットです。水色の枠の中には1~4の数字が記載され、それぞれ横にタイトルが並べられています。これが、解釈ルールの「4段考察」です。
このルールの最大のポイントは、一段目の「考察の前提」は独立したパートであるということです。「考察の前提」のパートでは、私が曲に感じている印象や、以降の解釈の前提となる設定を述べるパートであり、地の文で書かれるパートになります。
一方、2~4段落目は「考察の前提」の設定を軸に、解釈を進めるパート。曲の主人公目線を採用することも多く、1段目とは文体が変わります。そして、歌詞の物語を三段論法でまとめ、最終的に4段目の曲タイトルの章で解釈を終えるのです。
2. それぞれの役割
上の説明を、簡単に表にしてみました。それぞれの段落の持つ役割や文章の視点などをまとめています。この前提をご理解いただき、楽しんでいただけると幸いです!
段落 | タイトル | 役割 | 文の視点 |
1 | 考察の前提 | 以降の考察での設定提示 | 執筆者(私)の視点 |
2 | その都度 | 歌詞の物語を始める | 登場人物の視点 |
3 | その都度 | 歌詞の物語を佳境に | 登場人物の視点 |
4 | 曲タイトル | 歌詞の物語を閉じる | 登場人物の視点 |
なお、初期の記事ではこのパターンが確立されていません。また、歌詞量が少ない曲では、4段ではなく3段構成を採用しています。上記はあくまで、基本的な原則だと考えて頂けると幸いです!
さいごに
私は、このような前提でスピッツの音楽を全身で浴び、感じたものを出力した記事を沢山書いています。楽しんで頂けると、とても嬉しいです。ひとりひとりにそれぞれのスピッツがある。最高のロックバンドスピッツを、ぜひ一緒に楽しみましょう!