「素晴らしい音楽なくして、素晴らしい人生なし」。この記事は、そんな私の人生を彩ってくれる楽曲たちを紹介していくコーナーです。
今回の「花泥棒」は、スピッツの7thアルバム「インディゴ地平線」の収録曲。あっという間に通り過ぎる勢いに溢れたパンクナンバーで、アルバムの出だしとしてなかなか面白い一曲だと感じています。
この記事では、そんな「花泥棒」の魅力を語り、歌詞の意味も考察します。この曲での「花泥棒」とは、いったい何を指すのでしょう?
「花泥棒」とは
「花泥棒」は、スピッツが1996年にリリースした7thアルバム「インディゴ地平線」の収録曲。「インディゴ地平線」というアルバム全体には、やや穏やかなイメージがありますが、この「花泥棒」は、勢いに溢れたパンクナンバーになっています。
曲名 | 曲調 | 一般知名度 | お気に入り度 | |
1 | 花泥棒 | 勢いあるパンク |
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1. 演奏への印象
「花泥棒」の演奏には、ポップな雰囲気もありながら、同時に強いエナジーと勢いを感じています。この曲は草野さんの作曲ではなく、ギターの三輪さんの手に依るものです。草野さんは、「自分には作ることが出来ない曲」と評したとの噂もあります。
イントロは静かなギターから始まりますが、ドラムが連打されてからは曲の雰囲気が一変。一気に雰囲気を高めて、そのまま終わりまで駆け抜ける感じです。「花泥棒」が持つ勢いの中心にあるのは、この小気味よく軽快なドラムサウンドでしょう。
また、曲全体として、エレキギターも印象的です。素直な明るさを持った音色ではなく、何処か捻くれた印象を受けるギター。特に、間奏で一瞬流れるギターは、呪術で召喚され、チロチロと舌を出す蛇のような印象。明るいだけの曲では、ありません。
2. 個人的な想い
この曲は、僅か2分足らずの曲ですが、その勢いが半端ではありません。特に、良い意味で粗削りなサビのコーラスが、スピッツのイメージの中で浮いています。ともすれば、学園祭の学生バンドが勢いでやってますといった感じです。
ただそれは、曲としての完成度が低いという意味ではなく、楽しそうな雰囲気を前面に感じるという意味です。「花泥棒」は、音楽を楽しむというスピッツが大切にしている基本を、それまでにない新たな形で表現した楽曲だとも言えるかもしれません。
勢いがある曲ではありますが、その感覚を疾走感と表現するのは少し違う気がします。疾走感と言うよりは、下り坂を足をもつれさせそうになりながら、転げ落ちるように下っていくような、どこか危うい脆さを感じる勢いが、この曲にあると感じます。
歌詞の世界を考える
ここからは、「花泥棒」の歌詞を考えつつ、その意味する世界を考えていきます。今回の考察のテーマは、「君に夢中」としました。その考察テーマを補足するためのトピックとして、今回は以下の2つを準備してみました!
曲解釈は私の想像であり、他人に押し付ける物ではありません。ただ、出来る限り想像の根拠が提示できるように、歌詞とリンクさせながら進めていきます。私の想像を楽しんでいただけると、嬉しく思います!
1. 考察の前提
「花泥棒」のテーマは、恋の喜びと苦悩だと考えています。また、曲タイトルの花泥棒とは、君を指すと考えています。つまり、彼の胸に眠っていた恋心という名の花を、彼に断りもなく奪ってしまった君は、彼にとって花泥棒ということです。
ただし、演奏の雰囲気から言って、彼は若く青臭いというか、恋に振り回されている気がするのです。ですから君は、意図的に彼を誘惑しているのではなく、ただ自然に振舞っているだけで、彼が勝手に舞い上がっているのだと感じています。
ただ彼は、君を上手くリードできるはずと考えています。歌詞中の「逆」という言葉が、それを象徴しています。現実では、君に色々な喜びを与え、君を奪い去るクールな自分像は脆くも崩れ去り、逆に君に全てを奪われ、骨抜きにされているのです。
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2. 花泥棒
一度きりの人生なら、心のままに行動しなければならない。それが彼の行動の基本原則です。そして今、彼の心が向かうのが、「あの娘」。名前すら知らない彼女ですが、一目見ただけで、彼の心は完全に奪われてしまいました。
彼の胸には、自分が君をリードし、頼れる男性として君を魅了したいとの想いがあります。しかし、君の姿を見るだけで胸が高鳴り、自信満々な自分は粉々となり、どうにも上手くいきません。君の瞳の前では、彼はただの子犬になってしまうのです。
それでも彼は、全てを振り絞り、君を追います。自分の中の柔らかい感情、恋の花を完全に奪い取った君。そんな花泥棒は許しておけませんし、今すぐの確保が必要です。今や、花泥棒としての君を追いかけ、取り押さえることが、彼の人生の意味なのです。
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さいごに
「花泥棒」で描かれるような経験を、誰しも一度はしたことがあるでしょう。心を寄せる人の前で、自分が本来ありたい姿でいられない。そんなことを繰り返して、私たちは成長していくのでしょうか。それとも、それは心の回路劣化なのでしょうか?