「素晴らしい音楽なくして、素晴らしい人生なし」。この記事は、そんな私の人生を彩ってくれる楽曲たちを紹介していくコーナーです。
今回ご紹介する「ビー玉」は、デビューアルバムに収録されている楽曲です。後ろ向きさと前向きさが同居した歌詞と、明日には明日の風が吹くのような、どこか力の抜けた曲の雰囲気が特徴です。
この記事では、曲に対する印象を語りながら、「謎の草野さんワールド」の解釈にも挑んでいきます。この曲が意味することとは、一体?
「ビー玉」とは
「ビー玉」は、1991年発売のデビューアルバムに収録された楽曲です。アルバムの中では3曲目に配置されていて、「ニノウデの世界」と「海とピンク」の2曲の影響で、少し前のめりになったアルバムの雰囲気を、まったりした物に変える変化球です。
曲名 | 曲調 | 一般知名度 | お気に入り度 | |
1 | ビー玉 | まったり・牧歌的 |
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1. 演奏とボーカル
曲の背後で聞こえるアルペジオサウンドは、バンジョーによるものでしょうか。バンジョーは、ザ・カントリーな音色を持つ楽器です。当然、そのバンジョーを用いた演奏は、「ビー玉」という曲に、牧歌的なまったり感を与えています。
また、間奏で演奏される「ハーモニカ」も印象的です。明るさを中心としながら、どこか哀愁も感じるサウンドは、この曲が「お気楽一色」ではないこと示唆している気がします。明るさの裏にある何かを覗き込みたくなる。そんな感じでしょうか。
また、幼い子どものような歌詞を口ずさむボーカルからは、のんびりマイペースで、些細なことは受け流す、「明日には明日の風が吹く」的なスタンスを感じます。ムーミンは殆ど知らないくせに、何となくスナフキン的な主人公を連想しました。
2. 個人的な想い
不思議な歌詞が、特に印象的です。まったりした雰囲気に溶け込むかわいらしい擬音語があるかと思えば、何かが最期を迎える描写や、命をかき消すような闇の描写もあります。初期スピッツの一筋縄ではいかない世界が、この曲にも広がっているのです。
私の感覚では、この曲の闇は、全ての生命を等しく包む優し気な闇。歌詞からだけでなく、曲の雰囲気からもそう感じます。与えられた限られた生をそれぞれが全うし、最後に帰っていく優しい終わりの場所として、闇が描かれている気がします。
この曲は、諸行無常の世界を描いた曲だと考えています。ただし、その世界に向ける感情は哀悼ではなく、親愛の情に近いものでしょう。生き切った生命は、等しく温かな毛布としての闇に包まれる。そんな曲だと感じています。
歌詞の世界を考える
ここからは、「ビー玉」の歌詞を考えながら、その曲が示す世界観を考えていきたいと思います。今回のテーマは「生き切る」としました。そんな今回の世界を示すため、以下の3つのトピックを準備してみました。
1. 命と闇と、ビー玉
ビー玉は、「命」を歌った曲です。この曲の解釈に当たっては、曲の持つ雰囲気を大切に解釈するべきだと感じています。この曲が示すものは、過激で不吉な結末ではなく、曲全体に漂う牧歌的な雰囲気と繋がる、深刻さのない結末ではないでしょうか。
ところで、主人公は曲の冒頭において、何かを見つめ、その命が終わる瞬間を眺めています。その時の彼の心情は、メロで歌われています。そこでは、生がその旅を終えるとき、そこには全てを打ち消すような闇が待っているとされています。
この闇は、私にとっては安息地としての闇に思えました。危険を避けようとするのが生物の性だとしても、闇を恐れることが生物の性とは言えないでしょう。闇そのものに対し、積極的な恐怖の色を与えている生き物は、人間だけかもしれません。
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2. ちっぽけな生き物
サビで歌われる、魂に関する命令。これは、裸の心で生き切ろうという意思表示に思えます。人間も、鳥も、バッタも、オケラも、セミも。全ての存在は、生命を持った動物という点で共通しています。ただ、出来ることが異なるだけです。
それぞれが、それぞれの裸の心で、やるべきことに等身大で向き合う。鳥は歌い、バッタは跳ねて、オケラは鳴いて、人は笑う。等身大の生き物に出来ることなど、限られています。離れて見れば、「泡沫の夢」を生きるだけの、ちっぽけな動物たち。
ちっぽけな生き物が生み出す物など、世界には何の影響力も持たないことでしょう。しかし全ての生命に等しく訪れる闇は、やがて全てを打ち消してしまうのです。価値の議論など、そもそも不毛です。だから、与えられた生に向き合うだけで十分です。
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3. まったり、生き切る
2番メロにおける「不吉な赤」に関する鮮やかな描写は、生命の終わりを悲劇と捉える価値観を示唆している気がします。しかし、彼はその赤色に染まることなく、その場を飛び去っていく様です。私は、これこそが彼の価値観を示していると感じました。
つまり彼は、生命の終わりを悲劇とは捉えていないのです。だからこそ彼は、「不吉な赤い海」を軽々と越えていくのです。彼にとっての生命の終焉は、全てを包む母との出会いの地であって、恐怖する対象ではないはずです。
2番メロで彼は、最期の時をこんな風に捉えるのはおかしいだろうか、と自問しています。しかし結局、彼にはどちらでも良いことかもしれません。裸の心で日々を生きれば、その終焉への恐怖は湧いてこない。それが彼にとっての真実なのですから。
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さいごに
この曲は歌詞をベースに解釈するのではなく、楽曲全体の雰囲気を優先して曲解釈をした方が良いかなと感じました。とはいえ、外面の良い曲に毒を含ませるのが草野さん流。私は、その毒を見事に飲んでしまったでしょうか!?